ころもがえ

                      
                       



 「君に一番にあう季節は秋だね」と、ぼくは傍らによりそうケンタクンに話しかけます。


 「なんで秋なの・・・」彼はそう言いたげな目をぼくに向け、そして目をパチパチと。ぼくはあまり根拠なく、ただ感じるままにかけた言葉に反省。それこそ人間の子どもが向けるかのような彼の目に、少しばかり動揺です。


ケンタクンはもう老犬の部類に入ります。もう15才だからね。でもって彼は、いつも全身でぼくを理解しようとしてくれます。ぼくだけをね。つまりそういう意味で、彼はいわゆる世間が理解している犬ではなく、僕の娘たちとおなじ家族なのです。


 雑木林は冬支度が間に合わず、木々は急な冷え込みに、ただ、どうしてよいのかわからずうろたえています。古い服を脱ぎ捨て、身軽になり、かたくなな肌をむき出しにして、なんとも挑戦的に冬を迎える。そんな準備がきゅうにはできないようです。


そこいらの木がなんで支度なんかできるんだ。どうウロタエテいるんだ。どこがいったいカタクナなんだ。キチンと説明しろ。ナメンナヨ。町内会の政治倫理審査会で、いやいや同じく町内会の証人喚問の場でキチンと説明しろ・・・な―んて言われるとやはり困るな。


あのね、僕の感覚では、生きとし生けるものすべて、一定の安定のもと、それぞれを社会に・・・ちょっと話が複雑かな、つまり世間におのれを晒すことが、定期的にその精神を脱ぎ捨てそしてあらためることが、ただしい季節の迎え方なんだろう。なんて、少々持って回った言い方だけど感じています。


うーむ、ここいらの議論は枝葉が多すぎるな。いくら比喩をまじえて話しても・・・やはり意図を、僕のいまの能力ではキチンと伝えられそうもありません。自身の専門分野なのにだらしないね。でもしょうがない。


とにかくいそぎ足で逃げ出そうとする秋はいやです。秋は、やはりじっくりと一定期間、その秋でいてほしい。そう、少なくても2ヶ月ぐらいはね。いきなりの冬は寂しすぎますから。繰り返すけど、季節へ旅立つ準備にはそれなりの期間が必用です。いちどキレイに衣を脱ぎ捨てる期間がね。


還暦をむかえ、ここのところ何度かお伝えしていますが、すこしばかり、ほんとに少しずつだけど過去を振り返り始めました。キチンとね。そこで気がつき始めました。ぼくは、まったくあてのない旅を、えんえんと走り続けてきたことを。


でね、だらしないけど、だいぶ薄情者のように思われるだろうけど、ぼくは過去を振り返りながら、両親に文句を言い続けているのです。もちろん届かないけどね。


笑っちゃうのは、その両親をよく知らないことです。あげくにしばらくのあいだ無国籍でした。府中の米軍基地のそばに預けられていたのです。ぼくを産んでくれた母親、その意味だけの母親はいまでも健在です。ちょっと前までは、それでもすこしばかり行き来がありましたよ。けどこの4・5年は音信不通です。


縁が薄いということは、いかように努力をしても、疎まれることはあっても、幼子のようなむき出しの情感は拒否されます。許されないようです。とても残念です。もっとも幼子のような情感なんて、まったくもっていい歳をした60男が可笑しいよね。


いまでも、精神の大人への衣替えが必要なのに、僕はあいかわらずの着たきりスズメ。なにせ脱ぎ捨てる服が見当たらないのです。裸で放り出されたのか、あるいは自ら過ぎ捨てたのか・・・文句はいつまでも続きます。


雑木林、秋より冬が大好きなケンタクンは、幼子のようにぼくの足元に絡みつきます。ぼくは彼の気持ちに精一杯答えたくて、背中を、顔を、身体中をさすってあげる。そんなぼくの手を、彼はじっと受け止めます。うれしそうに首を上げてね。


たぶん、もうそれほど長い期間ではないだろう彼との日々を、ぼくはもっと、うんと大事に過ごしたいと、心底思います。だからね、もし万が一、ぼくが明日壊れたとしても・・・あたたかく見守ってほしい。キミ以外その役割を果たせそうにないから。


真っ青な空を見ることができる季節。凛とした空気が感じられる季節。それらは僕のあやふやな精神を整えます。社会という季節で生きるための手助けをしてくれます。冬はいつでもそうなのです。ふやけた精神を、疑いなくただしてくれます。