和光前

                            

  

和光前

 窓をあけると一面の曇り空、ぼくはほっとしてため息などをつきます。攻撃的な青空は、ただ季節の役割を果たしているだけなのに嫌われる。そんなふうに思うのはぼくだけかな・・・


久しぶりに出かけた銀座で、和光前で、なんとなく視線を感じました。眼を向けると、ぼくをじっと見ている初老の女性がいます。ぼくは年甲斐もなく戸惑い、そして目をそらしましたよ。よくあるのです。まぁ、でも、ほとんどがぼくの勘違いなんですがね。


勇気を出し、目を上げ、女性を探しました。人の波・喧騒・時間のながれは女性を遠ざけ、いつもどおりぼくの後悔を残すだけ。


 すこしばかり大人になることを戸惑っていた時代があります。うんと小さい頃にね。それは早熟だったということとは違い、多少その言葉を使うのに、それこそ戸惑いがあるのだけど、でも、やはり、ぼくには恐れがあったんだと、いまでも思っている。大人になることにね。


何に対する恐れかも、そう漠然としてわからないのです。けど、だけれど、いま思うとたしかにぼくは何かに恐れをもっていたようです。だからぼくは、無理やり時計の針を逆廻しにし、時の流れに身を任せることを、ひたすら拒み続けました。


壊れかけた時計は修復されずいまでも壊れたまま。見覚えのある風景はただ繰り返される。それでもぼくは、ただひたすら欲望に身を任せ、そう時計を逆回しにし続けます。時の流れが記憶の風景をすり減らすことが怖くてね。


多感な時代に時間を逆回しにしたツケは、いまのぼくにのしかかり、還暦を過ぎた年寄りには重さがだいぶこたえます。少しずつ減りはしているのだけど、溜め込んだ風景はますます重くなります。


思い出した風景は、悲しい顔をした女の子です。ぼくより先に施設を出てったその子は、その日異人さんに連れられて行きました。赤い靴を履いてね。なんどもなんども振り返りながら引かれていく女の子に、ぼくは、ただ小さく手を振りました。ぼくができることはそれだけ・・・


いまでもひどく胸が痛みます。重すぎるのです。今日もなかなか眠れないな。たいていこういう日はそうなのです。いろいろなことを考え、いろんなことを思い、長い夜明けにため息をつき少しまどろむ。なんどそんな風景が何度行き過ぎたか。


技術革新が進むいま、悲しさを圧縮する技術を完成させたくて、ぼくは努力を続けています。何年もね。でも積み重なったファイルはただフォルダを増やすだけ。蓄積されたDドライブを封印しても、意識の外でしらずしらずにファイルは引き出される。


和光前の女性が、彼女であることを心底願っています。生きて普通に暮らしていることを心底願っています。結婚をして子供を持って孫がいっぱいいて、でもって幸せでイッパイであることを願っています。絶対そうであることに決めました。でなければぼくは眠れません。


ぼくはいま、見覚えのある風景を、少しずつなくしていることに気がついています。大事な、ほんとうに大事なものまでもね。少ししたらまた和光へ行こうと決心しました。少し恥ずかしいけど銀座4丁目の角に立ちます。君の視線を感じにね。すこしばかり勇気を出して。