情報の量と総合雑誌

 じつは今朝、お手洗いで本を読んでいてね、じつに唐突なんだけど情報の量について少し考えてみました。ぼくのこの数日のお手洗い本は総合雑誌です。そいつを斜め読みしているとじつに便通の状態が良いのです。

 まぁ以前よりね、ぼくは便通時に本を欠かせないのです。いつのころからかは良く思い出せないのだけれど、つまり便通時に、そんときに何か他のことに意識がいってないと、お通じが妨げられるのであります。はい。

 そんなんでなんと我が家の2階の便所には、ドーーント本棚が設置してあるのです。イロイロな本が便所に置いてありますよ。でね、話はもどるけど、この数日は総合雑誌なのです。なぜこの数日が総合雑誌なったかというと、それは特に理由がありません。

 さてと、突然ですが我が家には常時新刊本があります。なぜかは少し複雑な問題が発生してもいけないので伏せます。ただし決して違法なことではないことだけはたしかです。えーと、なんの話だっけ、そうか総合雑誌が便通にいいという話・・・ちがうな・・・おぉ、そうか。そうだ情報の量についてのはなしでありますね。

 あのね、まいにちPCと3時間ぐらい対面しているぼくは、べつにPCと対面することが仕事ではないので、だから楽しみやその延長のことでそうしているわけだけど、やはり時間の消費が気になるのです。

 漠然とだけどね、日々の3時間が無駄になってはいないかなどと、なんだかキチンとした大人の考えを持ったりしてしまうのです。もちろんぼくは大人で、いい年で、イヌ好きで、精神が普通の人と比べるとちょっと偏っているけど、けどすこし考えこんでしまいました。

 ありあまる量の情報がネットにはあります。うーーん、ちょっとちがうかな。もっとキチンと表現するならば、求めればいくらでも、もちろん玉石混合だけど情報はネットから入手できます。きりがなく入手できます。それらが頭の中にあふれます。

 でね、そのあふれる情報の量に、これはちょっと違うかなと感じ出したのです。ずいぶんと前のことですけどね。でもそのまま放置しました。理由はね、ちょっと生意気だけど、それは自己規制できると考えたからです。なにせキチンとした大人なのでね。ただし、ぼくの場合は、じつはその自己規制がうまくいってないことも事実です。残念。

 さてそこで総合雑誌の登場です。大発見です。毎月発行されるそれは、なんともキチンと要領よく昨今の社会情勢から政治情勢から文学から経済学まで、しかも選ばれた(この選ばれたというところだけがぼくにはちょっと引っかかるのだけど)内容で、だから玉石混合ではなく玉だけで、発刊されているのです。

 だから毎日3時間もPCと対面して目を悪くせずとも、キチンと朝の15分便所で総合雑誌に目を通せばよいのです。あのべつに便所でなくてもいいですけどね、でも便所のほうが理想です。さすれば日本の正しい大人としての良識見識は、ある程度という括弧つきではあるけど保てるのでありますね。

 しかーーし、おじさんは、本当はねソウは思わないのです。なぜかはまた別なときに。