たまには平和を考える  

kentadon2007-11-09


 ずいぶんと長いあいだ遠くを見つめていました・・・

 こんなふうに書き始めると、「おっ、オッサンもやっと人生について深く考え、そんでもって大いに反省し 、とにかく不十分だか脳みそを働かせ、いやはやキチント語るようになったか。めでたいめでたい」なーんてな感じで、とんでもなくすっかり 見当違いな評価をされる方が、なかにはおられるかもしれませんね。

 しかーし、そんなことではぜんぜんなく、たぶんこのも先ずーーっとなく、いままで生きてきた半生について、その経過をしっかり反省することなどは絶対なく、考えも せず、とにかく残念ながらぜんぜん違うのです。ぼく自身のことはそれほど考えません・・・というより考えないようにしているのです。

 じつはね、きのう仕事の帰りに、友人から教えられた荒川の河川敷に愛用のトラックを止めて 、でもって冒頭の「ずいぶんと長いこと遠くを見つめていました」になったわけなのです。

 であるからして、柄にもなく川べりの草むらに腰をかけ、じっと遠くを見つめていたことは確かなのです。たまにはそういうこともするのであります。いけませんか?

 イカイカン。ちょっとばかし感情が昂ぶってしまっているようです。なにせね、とにかく今日みたいにたまに考えると、脳みそがちょいとばかしオーバーワークぎみになるのです。であるからして、そこいらは察していただき、とにかくご容赦を願います。。

 長いこと遠くを見つめましたよ。でね、ちょっと考えたのです。平和ってすばらしいなってことをね。ぼくらはいま、平和に暮らすことができる国に住んでいます。何に対しての平和かというと、ここでぼくが言う平和は、武器を持って他国と戦わないですむという意味での平和です。

 それはぼくらには当たり前のことで、そんなことで悩んだり考えたり気にしたりすることは、それこそ脳みそが偏っていると言われそうになるほど平和な国に、ぼくらは住んでいます。平和は当たり前なのですね。

 そんなぼくらにとっては当たり前の日常ですが、ちょっと目を外に向けると、中東でも、アフリカでも、アジアでも、大小はあるけど、よそでは当たり前のように闘いの日々が続いているのです。そんな地域はアッチにもコッチにあり、そんな闘いが日常の国で、普通に暮らしている人々が大勢いるのです。

 ぼくが遠くを見つめる原因となったケーブルチャンネルでみた映像は、だいぶ深く胸に刺さりましたよ。なにせそれは、まだおさない子供らが、銃を持って戦っている映像でしたから。

 だいだい色の大きな夕日が、見事な自然美となって山に沈みこむ背景は、少し怯えた目で、ライフルを何かに照準を合わせて構えている少年を際立たせていました。彼らの住む大地は自然の宝庫です。見事な夕日は日常なのに、その美しさを感じることも、ゆっくりと眺めることも許されない現実があります。

 そんな不条理を、どう理解していいのかわからず、ただ遠くを見つめていました。形容しがたい人々の心の非力さをただ感じていました。遠くを見つめることしかぼくにはできません。

 少し誤解を与えているかもしれませんね。ぼくは、ここで、何かを訴えようとしているわけではありません。何か理解してほしいといっているわけでもありません。すこしばかり気になる映像をみたことで、ちょっと感傷的になりました。ただそれだけのことです。

 ちょっと余裕のある時間がったあったのです。ちょっと川べりの草むらが心地よく、でもって遠くを見つめて考え事をしただけです。だいだい色の夕日が沈む前に、ぼくは家路に着きました。