12月7日 晴れ 雲ひとつない空

 カーラジオから聞こえてくるカントリーミュージックが、普段それほど好んで聞く類の音楽ではないのに、なんだか妙に心地いいです。いまのぼくの、この少し壊れたハートには、すこしばかり郷愁を誘うカントリーがきっと合っているんでしょう。とにかく心地よく、ふだんならきっ睡魔と闘うこととなるのでしょうね。

 そんな午後、数日続いた寒さが遠のき、いまぼくのいる郊外のコンビニ駐車場は、可笑しいくらい陽だまりです。汗ばむほどです。コーヒーを片手に、すこしポーズをとりながら、空を見あげます。最近はじっと手を見ることよりも空を見あげることのほうが多いな、やはりすこし壊れかけているのかな。

 空は近くにも遠くにも雲がありませんん。新開店したばかりであろうこのコンビには、とんでもなく広い駐車場があって気にいりました。広いのでね、ワサワサしていないのでね、どんだけ停まっていてもどんだけ空を見あげていても怒られそうもないのでね。

 缶コーヒーが苦手なぼくも、このコンビニの、紙コップにいれて出してくれるコーヒーは飲めます。普段あまりコーヒーなど飲まないのだけど、精神の奥底がザワザワしてくると、かならず苦いコーヒーが飲みたくなります。少しぼくには危険なサインなのです。

 この兆候がここで停まれば幸いです。この先に進むと、たとえばぼくの場合は、屋根裏のさらにその奥の物置から、大藪春彦の「汚れた英雄」全4巻などを引っ張り出して読み始めます。そうなると・・・そうはもうならないはずなのです。ぼくはその本を処分したのですから。キチンとした大人になるためにね。

 最後にその本を読んだのはもう30年も前です。それまでは定期的に引っ張り出し読んでいたような記憶があります。最後の、その最後のシーンをよく覚えています。ぼくを哀れむように見ているカミさんの悲しい目をね。

 ぼくは一月以上家を空け、違う土地で違う生活をし、そして自らを破壊しました。たいへん自分勝手な都合で放浪し、そして自分勝手にまた戻りました。それが最後です。本は処分しました。

 先週、八王子市にあるホスピスに出かけたのです。長兄が入所していたのでね。昨年その長兄の連れ合いが旅立ち、追いかけるように衰弱していく兄は、肺炎を患って隣接されている病棟に移っていました。ぼくの呼びかけにしばらくして目を開け、酸素マスクで塞がれた口を何やら動かしました。

 すこし辛そうに、そして悲しそうに何かを訴えているようです。ぼくはなにもできず、ただもう少し早く来ればよかったと思いました。兄と、こうして面と向って話をすることが、なんと今まで一度もなかったことを反省しました。

 いま、このコンビニで、兄の旅立ちの連絡をもらいました。返事の言葉を返すまでに、しばらくの時間が必要でした。まるで劇のようにね。兄弟といっても一緒に生活をしたこともなく、盆暮れに挨拶を交わすだけの兄です。それほど気持ちが動かないはずなのです。それでもぼくは空を見あげました。

 時間が過ぎ、そして声がでました。「ぼくは式に出ないよ」と。ぶっきらぼうに答えていました。相手は「そう」と一言。そして電話は切れました。

 きっと「なんていうヤツなんだお前は」と思われるでしょうね。その通りです。ぼくはずっと、そのなんていうヤツだったんです。たぶんこれからもね。どこまでも雲がない空をも一度見あげ、ぼくはエンジンのキーをひねりました。