怒りの雑木林

 世の中なんて「カッタルイ」そんなふうに考えていたことがあります。それもけっこう長い期間、たぶん15・6才の頃から2・3年の間だったと思う。それでもね、今こうやって振り返ってみると、これまで生きてきた期間から比べると、ほんのわずかな時間でしたよ。

 つまりどんだけ真剣に悩んだって、振り返ることができるまでになれば、それは、たいていは、笑って話すことができないとしても、少し大きな枠で考えなおすことができると思うのです。
 
 ちょっとありきたりだけど、だから面白いんだね人生は。生きることってたぶん面白いんだよ。だっていつでも好きなときに、好きなように振り返ることができるんだからねぇ、そうおもいませんか。

 いまでもね、いやいまだからこそもっと多くの、そんなふうに悩んでいる若者がけっこういるんだろうな。だからちょっと勇気をだして、声を大きくして、すこしばかりの経験を披露してもいいかななんて、ときどきと思う。

 いえね、けっして披露したからって言ったって、そんな気分の若者たちにたいして、それが有意義なものになるかどうかなんてなことを考えると・・・ちょっと首が振れてくるんだね。反対の効果のほうが大きいかもしれないな。どだいぼくには、その手のことはちょっと似合わないしね。

 ただ、こんなオッサンにも、あるいはちょいと精神が不安定なオッサンにも、若い時期がやはりあり、それなりに「青春の悩み」みたいなものがあったんだってことを、知ってもらえればいいってとこかな。

 まぁでもクリスマスを控えた年末のいま、そこいらはあんまり似合いそうな話題でもなく。だから書きながら少々反省をしています。そのうち気分がのったら、どんでもないオッサンの青春を披露しましょう。

 ここんとこファイトが続きます。ぼくのファイトではなく飼い犬ケンタクンのファイトです。きょうも離れ犬が雑木林でうろついていて、勇敢にも闘犬ケンタクンに挑んできました。

 ぼくはそんなときできるだけ綱を緩めて、ケンタクンのファイトの邪魔にならないように見守ります。たいていは、相手がもうカンベンといった表情を見せたところで綱を引きます。そうすると一目散に離れていきます。

 ただ、最近はね、なんだかケンタクンに余裕がないように思います。ないせこのあいだ確認したら、彼は来年で10歳になるのです。

 以前なら余裕であしらっていたのですが、ハスキーや同程度の大型犬が相手の場合は、かなり本気モードで闘います。だから相手は血を流します。時として相手はギャワワワンなどという悲鳴を上げます。以前はそんなことはありませんでしたよ。

 きょうのケンタクンは、闘いが過ぎても、しばらく、だいぶ長いあいだイラついていました。いつもは相手が去った時点で、ふだんと変わらないルンルン散歩モードに戻ったんですがね。

 このさき、きっといつかは、ぼくが相手を制しないといけない状況が、そんな場面がきっとくると予感します。できれば離さないでほしいな。

 どんなに自分の言うことはちゃんときいて制御できると言っても、それは無理ですよ。断言できます。
ケンタクンはいままで30回以上のファイトを経験していますが、一度も飼い主の制止で闘いを取りやめた犬なんかいません。

 彼の数多くのファイトのあと、それぞれ相手の飼い主全員が言う言葉はこうです。

 「いつもはおとなしいんです」
 「この子はふだんどんなときでもいうことをきくんです」
 
 聞くたびになんだかなぁと思いますね。あのさぁ、雑木林はドッグランではないのですよ。離せば闘いがあることを理解してくださいね。年はとっても、まだ若いもんにゃあまけないと、鼻息を荒くしている親子がいることもね。