毎日が普通であることを願って

 ほんとに時々だけど、ぼくは自分の毎日を考えます。なんかおかしな表現かなぁ。そうでもないよね。

 でね、毎日が普通に暮らせることを、普通に暮らせることの喜びを、大げさではなくうれしく思います。

 普通ってことの裏返しにある普通ではないことを、ぼくは大分経験しているので、だから、たぶんみんなより多く普通をうれしく思います。

 普通の裏側にあるイロイロは、あまり披露することではなく、生涯ぼくの中で消化するつもりですが、やはりいろいろな節目で傷口が開きます。

 ただそんなとき、ぼくは無理やりにね、その裏側経験の学習効果を探し出すことを、ほとんど無意識に行なうのです。やればできるもんですよ。

 どんな効果か教えろって?

 それはね、ほんとにちょっとだけど、みんなより気持ちが優しくなれることです。断言してもいいかなぁ・・・まぁ断言します。だってこれも個人の尺度だからね。比べられないからね。

 だれだって子供のころは悲しいくらい非力だからね、そんなときはどうしたって流されます。けどうまくしたもんで、たいていは意識をとばせるんです。つまり記憶を封ずることを本能でやります。これも断言できます。

 ただぼくはね、その封じた記憶をほとんど思い出してしまいました。けっこうキツイ状況になりましたね。悲しいことにそいうった封じた記憶なんぞは、たいていは俯くことばかりなんでね。

 キチンとしてないけどいつのまにか大人になったぼくは、だからいつも楽しく愉快なオッサンを目指しています。けどねぇ、楽しく愉快なことは、ちっとも封印なんかしたくないのだけど、はじっから忘れていくんだよなぁ、もうちっと残っててくれるといいんだけど。

 まぁなんだね、つまりぼくの脳みそは精神に与える衝撃の度合いで、そこいらを判断しているんだろうね。

 きょうは昼から雨の予想だったね、けど雨はふりません。カミさんは洗濯を家の中に入れていったけど、雨は降りませんでした。予想ははずれ。

 あんまし関係ないけど、ぼくの一年も、予想が外れっぱなしだったような気がしますよ。でも予想では、来年はうんといい年なんだね。バンザーイ。