勘違いの横行
この正月はあまりテレビを見ませんでした。年末にはお笑いやドキュメンタリー、そして歌番組などをけっこうみていたんですけどね。
理由はいくつかあります。とにかく途中でチャンネルを回したり、しまいにはスイッチを切ってしまう状態でした。
ぼくが見ていて一番見苦しいのは、ニュースや世相番組で、なんでもわかったような顔をしてくだらないことをくっちゃべっている連中です。
もちろんそういうぼくも、我が家に正月におみえになったお客人に、それこそくだらないことを言い続けていたのですがね。ただしそれと電波にのせて不特定多数の皆様にアレコレとくっちゃべるのを一緒にされても困るんだよね。だいたいぼくの場合は確信犯です。とにかく早く帰ってほしいのですから。
でね、見苦しさの一番のおおもとは、それは連中が何か勘違いをしていることでね。つまり彼らがそれぞれ期待された位置で、期待されたキャラクターでお話をされるのであれば、それはそれで番組は予定通りなんだろうし、みたくなければ見なけりゃいい。
ただどうもね、はたから、あるいは斜めからオソルオソル眺めていると、どういうわけかそれぞれの位置を勘違いしている。わざとかどうかわからないけど、どうみたってある程度キチンとした大人であれば、勘違いした連中が、十分理解のない内容のコメントを、それこそしたり顔でお話されているのがわかってしまう。
番組前に、急いでレクチャーされたであろうコメントを、キチンと理解しないままにくっちゃべっているのがわかってしまう。そこいらはさ、ぼくにはとんでもなく見苦しいんだね。ぼくだけじゃないな、たぶんいわゆる大人はね、きっとみんなうつむいちゃってるよ。
なかでもほとんどタレント化したいわゆる知識人や、同様の大学のエライ先生がたも見苦しい。そこいらはね、ただ番組で席にすわっているだけでも見苦しい。あのね、ここだこけの話だけどね、ぼくの少ない経験からも、連中があらゆる手を使って政治に擦り寄る姿を垣間見ているんです。
だからね、そんなじつに唾棄すべき連中の横行で、一部尊敬できる人々がメディアから消えてしまうことを、ぼくは深刻に嘆きます。心配しています。
まあでも結局はね、受けての私たちが、本当の意味でのメディアリテラシーを理解しているかどうかという問題になるんだけどね。ただ、いわゆる専門家自体がね、そのメディアリテラシーそのものをですよ、単にIT機器習熟の延長ぐらいにしか理解していないことももっと大問題だよね。
だからね、そんな未成熟な社会では、やはり公器としての自覚をもったメディア人が、まだまだ必要ということなんだね。あのさ、空気なんぞはよまなくていいからさ、キチンと公器を自覚してほしいな。
またそれだけの特権を与えられていることも、ちょっとは理解してほしいな。