奥歯よさらば!その2
「深津さーん、もちょっと力ぬいてくださいな。大丈夫だから。ね」
「アイ」
「それからその右手のブルブル拳も、グーでなくパーにちていていいから。ね」
「・・・アイ」
普通は「ちていて」ではなく「していて」ではないかと思いましたが、でもキチンと発音できないし、グーをパーにするには精神をもっと落ち着かせなければいけないし、頭がいつもよりさらに働かないし、左側にいる白衣の天使が気になるしでちょっと返事が遅れました。
「えとぼくはね、愛を信念にね、いつも施術してますから。ね」
「アイ・・・」
とまあ、いくぶん脚色はしていますがね、歯医者でのシーンはどんどんと続くのです。
「肩の力を抜かないと、あとでコリがでますよ。ね」
「アイ」
「この綿は止血用ですからね、ちょっとキツメに噛んでいて、イテッツ。イテッツ。イテェーーー」
「アイ」
「アイじゃあないでしょ!私の手を噛んでどうすんですか!手を抜いてから噛むでしょう普通は!」
「アイ」
悲しいかなぼくはこの時点で正常な・・・いやいやぼくの普通に偏っている精神が、異常な偏りに近づきつつあり、そんでもってあと何歩か歩みを進めれば(精神のです)異常な偏りの2乗ぐらいになりそうだったんです。危ないのです。
そんなこともしらず杉山先生は、指をさすりながらイテェイテェと連発していました。チョット噛んだだけなのにだらしないな。一歩ふみだそうかな。
ぼくの気配を察し、慌てた左側の白衣の天使1号が(えと白衣の天使の名前がわからないので1号から4号と呼んでいます)そんなに大きなクリニックでもないのに、白衣の天使がいっぱいいます。5号6号も違う日で見たことがあります。
その1号が、先生の手を脱脂綿で拭いていました。ぼくの歯はバイキンか!
バイキンのぼくは1号をにらみつけ、きっとこの1号は、この対応の速さから考えると、この杉山先生とよからぬ関係にあるに違いないな。間違いないな。と異常な精神に近づきつつも冷静に判断するのであります。
「深津さーん。えとね、しばらく血が止まるまでこのままにしていてください。ね」
「アイ」
「なにか本を持ってこさせましょう。何がいいですか?」
What kind of book do you like
じつは最近、ぼくは基本英語を勉強し直しています。なもんだからこれからは時々、意味もなく書き入れます。でもって勉強のしなおしなので、だぶん、たいへんな間違いが多いと思います。どうしてもそれらが許容の範囲を超えるときはご指摘ください。
「イフヒホイテハフ、エディハホホウヒョウヘンンノホリヒクスホ、ホネハヒヒハフ」
これは解読が難しいですね、本のタイトルは『メディアと公共圏のポリティックス』花田達郎著です。だからちゃんと書くと
「椅子に置いてある、『メディアと公共圏のポリティックス』をお願いします」なのです。
「でも天使1号は、意味わかんないし、わかっても椅子は待合室で、本はコートの下に置いてあるし、遠いし、めんどくさいと思ったのか、チョット先の本棚から青い表装の本を持ってきました。
『若手歯科医のための臨床の技50』安田昇著です・・・・こんなの持ってきてもらってもですね、半分は歯の絵だし、半分はローマ字だし、ぼくは若くないし、歯科医でもないし、精神は極限だしと、とにかく限りなく極限状態です。
しかーし、いま一歩のところで、1号に襲い掛かるのを思いとどまり、一応うっかりした風を装い、そのうえで本を床に投げ落としました。少しは精神が落ちつくかと期待しましたが、なかなか収まりません。なもんでおもわず
「ハメンハホ!」 通訳すると「ナメンナヨ」です。言ってやりましたね。ガツンと。
しかーし、おじさんのハヒフヘ言語が理解できなかったらしく、しょうがないわねとばかりに身をかがめ、床の本を拾い上げぼくのひざの上に置きました。優しく。
ヤバイ!
続く。