奥歯よさらば その3

 「もう落とさないでね」

 「・・・・・・」

 なんとだらしないことに、ぼくは、白衣の天使1号の優しい言葉に、歯の痛みなんか367億8000万光年先の、エホヒアホ星に飛んでいってしまい、あげくにかえす言葉さえ、ぽかんと口を開けて(歯医者で治療を受けているのでもともと口はあいているのですがね)何もいえないありさまです。

 まっことだらしないのですね。はい。

 まっ、でも、とにかく1号の優しい言葉に、単純明快歯槽膿漏奥歯抜歯のぼくは、いくぶん心が和み、そんでもってひょっとしてこの1号は、ほんとはほんものの天使なんではないかと、麻酔が脳にまで効いてきたようで思うのでありました。

 そうなるとですよ、にっくき敵は杉山先生なのです。

 えーとここでキチンと申し上げておきますが、登場人物は実在ですが、名前はすべて仮名です。であるので近所にですよ、「杉山クリニック・杉山歯科・歯科スギヤマ・杉山歯科医院・杉山歯科店」最後のヤツは別としても、そういった歯科医が実在しても、茶髪で太目の先生がいても、そこに白衣天使1〜6号がいても、けっして疑いの目を向けないようにお願いします。

 でね、敵はね、よくよく観察すると、なんともいやらしい目で1号の後を追うのですね。治療中なのにね。だからはぼくはわざと、敵のいやらし目が天使1号を追うたびに、意味のある咳払いや、わざと声を上げ痛がったり、大きなオナラをしたりしました。どうだまいったか。

 しかーし、やはり敵はなかなか強敵です。ぼくのある意味嫌がらせも、厚顔無比な茶髪デブには通じません(なんだかずいぶんと歯科医にたいして反感を持っているように思われるかもしれませんが、正直もってます)。

 とにかくしばらく1号を挟んで攻防が続きましたが、けっこうな客で店も立て込んでいるらしく、茶髪デブ歯科医はそっちの客のほうに行ってしまいました。すると1号の代わりに2号が来て、うがいしろだの薬はキチンと飲めだの、本は帰りに本棚へ戻しておけだの、お通じは日に何回だの・・・・

 「3ハイ・3ハイ3ハイ。ホヒハナヒハ」

 「3回・3回・3回。それがなにか!」

 ぼくは自慢ですが日に何度も大をこなします。大の最中はたいてい読書です。ぼくは本好きなので大で便所に入ることが喜びのひとつなのです。なもんだから日に何度も用をすることは苦ではなく、喜びのひとつでもあるのです。

 あのさぁ、歯医者と抜歯と用便回数はなんの関連があるのですかぁ?キチンと教えてください。と言おうとするのですがね。やはりどうにもハヒフヘ言語になるので、めんどくさいので後は黙ってふてくされていました。

 治療が終わった帰り道、勤務時間が終わったのか1号が私服で出てきました。おじさんはいまはキチンとしていますが、昔はそれほどキチンとしておらず、このようなシチュエーションでは、かならず声をかけたものです。  続く。