造語と国木田独歩
造語にはイロイロと面白いものがあるものだと、先日運転しながらラジオ放送を聞いているときに知りました。
もっとも面白いと言っては少々語弊(ごへい)があるかもしれません。なかなかキチンと言葉をくっつけてあるもんだと感心した次第です。
たとえばぼくがよく使う「雑木林」これね、ラジオから聞こえてきた説明ではね、なんと国木田独歩の作らしいのです。
これを聞いておもわず、ぼくはふだんあまり使わない「ほほう」なんてな言葉を発しながら、運転中なのに右手の親指と人差し指であごをさすりました。
えと若者はあまりご存じないかもしれませんが、この手の動きはね、主にキチンとしたおじさん連中がおこなう、なにかに感心したときにやるしぐさなのです。であるので覚えておくといいです。
でも若者どうしのコンパなどでやることは進めません。たぶん「オヤジー」とか言われます。
何の話してたんだっけ。おーそうだ、とにかく感心しました。しかしながら鵜呑みにしてはいけないので、キチン調べてみようと思ったのです。ここだけの話ですが、そのへんについては、けっこうしっかりと教育を受けています。
まぁでも調べるといってもですよ、なにも疑っているわけではないのですね。ただチョット興味があったので調べてみたのです。なにせここんところ暇なんでね。
でね、アチコチで書かれているものを見比べてみると、どうも「雑木林」なる表現を始めたのは徳富蘆花と国木田独歩のお二人のようです。もちろんぼくの解釈ですから、さだかではありませんよ。
でもどちらが先かどうかなんてことはそれほど問題じゃありませんね。ただ雑木林ということばの持つ不思議な感覚が、彼らの造語と知って納得しただけです。
つまりね、ぼくの中では、何気なく使っている雑木林ということばにね、武蔵野ということばの美しさと同様、簡素化された美として、落葉樹林の様を表現した造語として、いかにも彼らの作らしく、見事な造語だなと感じたのです。
資料によると蘆花は、明治三十九年にトルストイに会いに行き、帰国後、東京の郊外にある千歳村粕谷(現在の世田谷区粕谷)に住み、自ら「美的百姓」と称して、雑木林の中で生涯を送ったそうです。
理想ですね。かくありたいとぼくも思いますよ。できればね。
他にもラジオではイロイロ紹介をしていましたなどよ、福沢諭吉の「西洋」だとか、西周(にしあまね)の主観客観だとか他にもイロイロあったけど忘れました。
このあたりも、少しキチンと調べてみると楽しいかもしれませんね。
HP「おじさんの日常」http://www.bin-5.com/index.htm で「オモシロ動画」を乗っけてます。ここんところ日替わりです。気が向いたらのぞいてください。