思春期をむかえて


 「いまさら思春期だとー、なにが思春期なんだ。ナメンナヨ」と、たいていの皆さんはそう思われるかもしれませんね。
 さぁーて、なんて言い訳をしようかな・・・なかなか思いつきません。

 でもぼくは、やはりいま思春期を迎えています。というより思春期以外のぼくを見つけることがむずかしいのです。

 まぁ、簡単に言うと、いつもおめでたい。いつもバタバタしている。いつまでも大人になれない。空気があまりよめない。空気を読もうとしない。空気をしらない等々、いくつでもあげられるね。あきれるくらい。笑っちゃう。

 まぁ。そんなところでしょう。「つまりなにをいまさら」と皆様が思われることは正解です。あっているのです。思春期の、けっきょく始まりも終わりもぼくにはありませんでした。

 でね、ちょっと残念だけど、ぼくは大人への窓を少し最近開け始めています。もうちょっとで還暦だというのに、ずいぶんとトンチンカンな時期ですよね。

 それにさ、ちょっと大きな意味になるけど、いろんな意味で冬の季節に窓を開け放つのは、ちょっと寒すぎますよね。無謀だね。

 まぁそれでも、ぼくはアマノジャクで空気が読めなくて、風なんかまともに胸で受け止めてしまうので、やはり空けてしまおうと思ったのです。一度決めたら突き進みます。まわりの意見などは無視。

 さて実はね、先週すこし空けてみた窓ですが。空け始めはだらしなくて、なんとも恐る恐るでしたよ。結果は、思ったとおり惨たんたる有様。それでもぼくは我慢しました。それはそう決めたからです。

 ただね、じつにつまらないぼくが、いま社会に存在していることが、どうしても見えてしまうのです。自分のことなので当たり前だけどね。

 だから、ぼくは日常を離れたところで、窓を締め切ったままのぼくを、その心のうちを、この窓(HP)に開け放とうと決めました。

 たぶん今まで以上に、ぼくはここで心を開け放つでしょう。それは情けなかったり見苦しかったり、弱っちかったり、みっともなかったりばかりになるかもしれません。

 けっこうです。それがぼく自身ですから。ほんとうのね。

 外のぼくは、社会のぼくは 、いくらカッコつけようが、いくらキチンとしようが本物ではありません。

 小学三年生のとき、ぼくはラジオを作りました。鉱石ラジオです。窓のカーテンレールに、アンテナ代わりの針金を引っ掛け、布団の中でラジコンをあわせ、手に汗をして耳をかたむけました。

 それはぼく自身が、ぼくのためにはじめて、自分の手で社会との接点を持つこととなった始まりです。

 はじめてそこで窓を開けたともいえます。雑音のなかで、社会は、希望に満ち溢れていました。