リズムと総合病院

 

 ちょっと気になることがあります。何が気になるのかというと、生活の中の音楽です。しいて言えばそれは生活の中に、音楽が、リズムが、そしてメロディがベースとしてあるかということです。

 ちょっとわかりにくいかなぁ、とにかく日常に、テンポのいいリズムが存在するかということなのです。毎日の生活の中で、どれだけ、自身の身体の中に音楽が、リズムが、ながれているか自覚しているかということです。

 はたしてみなさんはどうなのでしょう。このぼくのいうリズムをね、自覚しながら、リスムをとりながら、日々を、日常を過ごしているのでしょうかね。

 あっと、誤解を招くといけないので、やはりキチンとお話しますが、それらはあれば良くて、ないとマズイという類の問題ではありませんよ。ただ、ぼく以外の人々はどうなのか、ちょっと気になっただけなのです

 ぼくはね、精神のうんと深いところで、いつもリズムが流れているのです。それはごく当たり前のことなのです・・・まてよ、これってちょっとキザなもの言いかなぁ、まぁいいや。

 でね、その日にどんなリズムが流れているかを掴むのが朝の、毎日の始まりです。それはね、じつに無意識にやっているのですね。ただ流れとしての作業は無意識ですが、リズムを掴むことは意識してます。

 詳しく説明するとうんと時間がかかるので、掴んだリズムとその日の行動指針との相関は省きます。でもそれはキチンとつながるのです。

 少し違うけどそれは、みなさんが朝のテレビ番組でみる占いを信じてその日を行動するのと、ちょっと似ていますよ。

 なもんで、そこいらの基本的な部分が、リズムの流れが、どのような背景で自分の中にできあがったのか、とても興味があるのです。そんなことをふと思ったのです。

 前ふりがちょっと長すぎましたね。

 とにかくぼくにとってはごくあたりまえのことで、無意識で、日常といってもいいそのリズム感覚だけど、はたしてみんなは、世間は、普通の大人はどうなんだろうかとね。

 そんなものは必要なく、精神の奥のほうでリズムなんか聞こえてきたら、いそいで総合病院へ行き、全身くまなく検査をしてもらい、必要なら即刻入院するんだ!

 なんて方も、もちろんおられるんでしょうね。そこいらが普通なのかもしれません。

 まぁ、でもぼくは、そのリズムがたいていは心地よく、ときおりあまり心地よいリズムといえない感覚を持つときでさえも、もしリズムがなければ動揺します。でも総合病院へは行きません