境い目

       


 イロイロナ境があって、そこいらのキチンとした分かれ目がなんだかとても気になる。ということを文学賞をとった女性作家が新聞に書いていた。


 ぼくはそれを読んでいて、なんだかとても奇妙な気分になった。奇妙というのは、おんなじようなことをぼくもずっと以前から思っていたからです。


 だからといって、とにかくぼくが先なんだから、ぼくのほうが先に思っていたのだから、だからやはりぼくのほうがエライ・・・


 なんていう話ではなくてね、つまりぼくが、世間の人々とちょっとばかし違うところの基本がそこにあると思っていたので、なのでぼく以外の人でも、そういうふうな事を思ったり考えたりしていることに、ちょっと不思議な感じを持ったのです。


 でも不思議な感じと奇妙な感じはとは違いますよね。ウーン、むずかしいな。ということになると、じゃあキチンと表現するには、いったいどういう風に言い表せばよ9いのだろうか。チョット弱ったな。


 まあとにかくその境い目だけど、とりあえずいまはね、冬と春との境い目について、ぼくの中では葛藤が続いていているのです。たとえば3月24日を春の境い目と決めてしまうと、その後にやって来た寒い冬日をですよ、いったいどういう風に説明したらよいのか。困るのですね。


 きっとどこかの意地悪人が「キミネェ、キミはこの一両日を、春を宣言した後のこの極寒日を、いったいどう説明するの」なーんてな声が聞こえてきたりしてしまうのです。


 だからそこいらはやはり曖昧にしておくほうが無難なのかもしえませんね。ことほどさうように、世の中アレコレの、その境い目決定は、たいへん難しいのです。




 ガソリン


 ガス欠 環状線 真ん中で停車

 寄り道 探索 あきらめの夜道

 値段 中途半端 どうも勘違い

 下がることは当たり前なのにね

           深津 勝