学ぶこと

           

 しばらくスポーツと呼べるものを楽しんでいないことに気がついた。みなさんはどうなのでしょうね。ぼくは小学生のころ野球をけっこうやりましたよ。チームを作ってね。


 もちろんチーム作りは、ぼくよりも少し上の、近所のお蕎麦屋さんの広ちゃん(仮名)が全部やってくれたのです。ぼくらにはそこいらの知恵がなかったのでね。


 当時たぶん中学生だった広ちゃんは、チームの帽子を揃えて、バッチを作ってくれました。そうそう。ぼくらのチームの名前は「ブルーエンジェル」由来はけんとうもつきません。ハハハ。


 試合はもっぱら大人、たぶん中学生か高校生で、ぼくら小学生からみるとじゅうぶん大人である彼らとは、それこそイッパシの戦いを繰り広げたのです。ほんとです。


 なにしろぼくらのチームにはスコアラーの広ちゃんがいて、各自の成績は集計され試合の前に注意を受けたり、打席に立つ前にアドバイスされたり、それはもういま考えると本格的でスゴカッタノデス。


 当時のぼくは5番でライトを守っていました。アベレージはだいたい2割5分前後だったのを覚えています。広ちゃんは監督でもありスコアラーでもあり、そしてマネージャーでもありました。月に2・3回の試合も、ぜんぶ広ちゃんが組んでくれたのです。


 広ちゃんはとんでもなくイロイロなことを知っていました。ぼくは尊敬をしていましたね。プロレス関係ならルーテーズ(プロレスラー)の生まれた場所まで知っていました。力道山豊登(お相撲さん)がなぜレスラーになったのかも教えてくれました。


 幼いだけに、そのあたりの真実(そう思って聞いていました)はたいへん悲しいもので、ぼくのその方面の考え方を決定付けてくれたものです。


 イロイロなことを教えてもらい、遊んでもらい、楽しませてくれた広ちゃんは、じつは学校に行っていませんでした。ぼくが中学生になってわかったことです。不登校です。


 友達が一人抜け二人抜けチームが成り立たなくなったころ、ぼくらをみても広ちゃんは声をかけてくれなくなりました。でも毎日会うのです。ぼくはだいぶ悲しい思いをしました。ぼくに言わせると、大人がみんなで、純真な子供に、汚い言葉で広ちゃんと遊ぶことをやめさせたのです。ウンコみたいな連中です。


 学校へ行こうが行くまいがどうってことはない。それはいまのぼくの考えです。うんと深い説明やその考えの背景を、本来はじゅうぶんに説明する必要があるのですがはぶきます。


 とにかくぼくの考えの、そのもとの部分はそこにあるのです。ぼくはね、わが子らを、まともに始業式に出席させたことはありませんでした。海や山で遊んでいたのです。そのほうが楽しくて愉快でうんと学べると思ったからです。生き方をね。


 

 スポーツ


 
 まいにちを外れたところ

 非日常とスポーツ、だから楽しい

 楽しもうよけんかしないで

 やめようよ利用するのは

 それじゃあスポーツになんないよ

          深津 勝