報道って・・・
報道って・・・
毎日毎日のことだけど、なぜこんなにも同じ内容の視点でしかニュース報道が成されないのだろう。みなさん疑問に感じませんか
でもたぶん、ほんとは賢明なるみなさんは感じているんでしょうね。でもいくら騒いでも、決して、我が大日本帝国の報道のあり方はかわらないから、かわることがないから・・・とあきらめておられるんでしょう
ぼくは賢明ではなく、それほどキチンとした社会人でもなく、いつまでも青く、さらに単純思考が大好きなので、なもんだから声を大にして叫ぶのです。オカシイダロウってね。
ただね、ちょっと言いづらいのだけど、問題は報道する側の姿勢だけではないことが、ぼくの単純頭脳でもわかっちゃうことなんだね。
もちろんメディア側の姿勢のほうがうんと罪は重いけど、でも報道を受け取る側の姿勢にも問題があることを、ぼくは指摘したいな。はっきり言っちゃうと、我が大日本帝国人民は、みんな「ステレオタイプ社会的反応病」になっているのだね。
まぁでもそう結論づけたとしても、やはり病気のもとを探らないと正しくないのでね。おじさんはキチンと考えました。結論は、さんざん言われてきたことでもあるけど、やはり記者クラブ制度でしょうね、それから放送寡占。
そこいらのことをうんと細かく説明すると、それこそとんでもない時間がかかるので省くけど。でも元凶はそこです。間違いありません。
少しだけ説明しましょう。あのね、メディアの一番重要な役目はね、ぼくはメディアそれぞれが責任を持ってなす調査報道と考えているのです。でもそれらは、記者クラブ制度がある以上、これまでもこれからもたぶん成されません。する必要がないんだね。
なぜなら記者クラブで、政治家や役人のおこなう発表を受けて報道することが慣例になっていて、またそれが双方に便利で、重宝で、イロイロなことが操作できるので、とってもお得な機関となっているからなんだね。こんなんじゃあさぁ、多様な調査意見報道ができるはずがありません。
ふだん体裁のいいことを言っているメディア側においては、ここいらはうんとこ頭が痛い問題で、そこを指差されると困っちまうんだろうけど、あのさぁ、もういいかげんそろそろ直そうよ。
社会をね、みんなが努力して成熟させるには、やっぱり多様な意見や考えを吸収できる素地を持つべきでしょ。もういいかげん我が大日本帝国もオトナになって、ただただ同じ意見が固まっていれば怖くないなんていう。前時代的な環境から飛び出ようよ
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機関区
とんがり煙突はそれほどいない
でもまだ生きているんだ
みつからない・・・
じゃあ駅頭で待ち伏せようよ
いつかあっちからやてくるよ
地響きを聞き逃さないようにね
深津 勝