ヤッカイなもの

            



ヤッカイなもの

それほどたくさんはない。それでもこいつだけは記憶から、思い出から、なんとか消えてほしいというものがいくつかあるのです。けどなかなかそうはいかない。こいつがじつにヤッカイでね。


時と場所を選ばす、ほんのちょっとしてきっかけで、ぼくのあまり豊かでない脳みそを占領する。豊かでないので、とうぜんのことキャパ乏しい。そんなところにドドーーットこのヤッカイ連中がいっぺんに押し寄せてくるのです。


昨日のことだけどね、ぼくは久しぶりにうんと肉体労働をしました、それもアツイアツイあの真昼間にね。穴を掘りモノを組み立て、植木を剪定(せんてい)し、そして身体を動かしいながら強い日光に夕方まで身をさらしたのです。


仕事をしながら思いましたよ。こんな日のあとは、きっと、精神もうんとお陽様にさらされた後のこんな日は、こころがうんと自由になりそうだな・・・とね。


もちろんいいこともたくさんあるんですよ。心地よい疲労感は普通精神を安定させてくれます。優しくなります。でもね今回はちょっと違いました。夕食後、ひとり何気なく見ていたテレビ番組で、往年の歌謡曲のヒット番組を特集してたのです。時々やる例の思い出の曲です。


たぶん皆さんも同様でしょう。音楽には時代の心が、気持ちが、感情がくっつきます。みんなそれぞれの、自分だけのオリジナルなそれは、曲が流れるたびにそんな時代を思い出させてくれますよね。じつはこれがヤッカイの元凶です。すくなくともぼくにはね。

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思い出や記憶や感傷は、たいがい楽しいものではないようです。イヤイヤそんなフウに言いきってはいけないですよね。言い換えます。「たいがいは悲しいものが多いようです」かわんねぇか。


疲労感が相乗効果となり、ぼくのそのオリジナルな時代音楽は、ぼく自身を締め付けました。そっと引き戸を閉め、家人に気づかれないようにタオルを目にするのは、ただの悲壮感を満タンにしたオヤジです。


けれどもぼくは、打ち寄せる悲しみに、その感傷に、なんとも表現しにくいのだけど、心地よさも感じているのです。不謹慎ですかね。

 



   夢うつつ

 少し期待が過ぎたようだね

 酔えるといいのだけどね

 ちっとも、すこしも疲れていないし

 期待が、やはり過ぎたようだな

昼間あれほど汗をながしたのに

汗は記憶を流してくれない
 
          深津 勝