仲間はずれ
仲間はずれ
また一人の女性が、不倫とかで番組を下ろされそうになっています。結末はどうであれ、ぼくは彼女を応援するでしょう。もちろんぼくは彼女に一面識もありません。別に彼女はぼくになんか応援してもらいたくないかもしれません。そんなことはどうでもいいんです。
よってたかって非難されるのを、よってたかっていじめられるのを、よってたかって面白がられ指差されることが、ぼくは大嫌いで、無性に腹がたつのです。
キチンとした大人たちは、きっと「彼女には非難されるだけの理由があるんだ」と、鼻を膨らまし文句を言うことでしょう。あのねぇ、そんなことは100も承知なんでね、ぼくのいいたいことはもっと別なこと。懸命な読者にはお分かりでしょう。ここぞとばかり、まるで社会の悪を代表したように攻めることを、それを「やなことだなぁ」と思うのです。
しばらくはこの手の報道が花盛りとなるのでしょうね。だからしばらく、ぼlくは報道番組をみるとグッタリしてしまうのでしょう。こんなとき、たいてい、ぼくはむなしさで小さな胸をいっぱいにします・・・とにかくいっぱいになった胸の奥の方で、小さい自分にぼくに向けられた、同じ年代の子ども達のことを思い出します。
よってたかってぼくを・・・無言で非難していた彼らを思い出します。ぼくはあまりめげませんでしたが、それはぼくがただ、ただ負けたくなかったからで、もしぼくが弱かったら、きっとずいぶんと落ち込んでいたでしょう。
ぼくが、みんなから敬遠されたのは、それだけの理由があります。もちろんそれは、ぼくがなにか社会的に非難されることをしたということではありません。子供だしね。ぼくの生活環境や、ぼくの資質の問題です。ぼくのそんな経験が、やはり思いを深くさせるのです。
経験は学ぶものです。でもって個人の行動すべてに経験が必要とされるのであったら、学習なんか必要ありませんよね。人をだます事が悪いというのは、そういう学習をするからです。経験なんかはしちゃいけません。全部に経験が必要だったら社会はメチャクチャです。
だからさ、オトナはね、表面上の正義を振り回す前に、もう少しキチンと学習をしましょう。いろんなことをね。
心の色彩
色をつけないと仲間になれない
仲間はずれは色違い
気持ちはみんなおんなじ色
なんで、なんでおんなじ色が必要なの
気持ちはみんな違うよね
気持ちがいっしょだとなかよしになれるの
なかよしって同じ色なの
いやだななんだか
深津 勝