ただ抗うことに

        

ただ抗うことに


富里インターを降りると、もうすでにぼくの気持ちはざわついていたようです。296号線を南下し、市の消防本部脇を通り抜けると左側が牧場です。懐かしい風景がそのまま残っていました。思春期の思い出や匂いが、これでもかこれでもかとぼくに降りかかってきます。


夢を見ました。青春の一時期、ぼくは自身の意思で、この地に文明の塊ができることを拒否をした、いわゆるゲバ青年になっていました。その時代のそのへんの騒動を、世間では、あるいは大方のキチンとした人々の考えでは、ただ単に大勢の仲間と徒党を組んで悪さをした、いわゆるバカ者達の青春、そう捉えられています。


みなさんに少しばかり違う側面をお話しましょう。みなさんは何かにむかって意思を表すことをどのように考えますか。幼い子供のオネダリについて聞いているのではありませんよ。元服期を過ぎた青少年が、その意思を表明するにふさわしい年頃となった時のことです。ちょっと遠回りかな。まぁ夢の話ですから、気楽に聞いてもらいたいのですがね。


親に引かれたレールの上を、何の躊躇もなく、これといった考えもなく、気楽に要領よく、楽しく毎日暮らすことは、けっして非難されることではありません。ただね、ただそれがあなたの人生のたった一回の青春だとしたら、ちょっともったいないなとも思います。


もちろん何が何でも闘え、意思を表せ、自立しろ、なんてね、そんなスローガンをこぶし振り上げてもの言うおせっかいなど、ぼくにはこれっぽっちもありません。なにせ夢のなかのお話ですから。


さてぼくは、夢のなかで、いわゆる親の引いてくれたレールを見事に踏み外しました。でもってそれが青春の始まりです。不条理(と思われること)に抗うことで、ぼくは自身の過去を押し流しました。いえたぶんそれは、胸の奥底のEドライヴに、圧縮してストックされただけなのかもしれません。


いくら体制を批判し、社会を憂い、自らの行動の体裁をつくろっても、正義をふりかざしても、あんがい自分勝手な理由で世の中を斜めに見ていたのです。笑っちゃいますね。ただ救いはね、そのことに全力でぶつかったことです。


まわりの連中もみんな同じようなもの・・・だったかもしれません。それだけ我が大日本帝国が平和だったと言うことです。抗うことが目的だったぼくは、思考することを停止しました。なぜならキチンと考えることが怖かったからです。それほどバカではありませんでしたからね・・・ちょっと意味深かな。


とにかくいわゆる知識人受けする、体裁だけは元気で都合のよい理論をオウムのように繰り返し、自身のはけ口をそこに求めていたのがぼくです。いえ、夢の中のぼくでした。それでもね、一度たりとも闘いを悔いたことはありません。その一瞬は、まさにぼく自身の正義だったからです。


あることがきっかけでぼくは抗うことをやめました。匂いに、感傷に、青春に、僕自身を沈めたとも言えます。そして自分の感性に抗うこと自体が無意味だということ。そんな単純なことを、ぼくは青春から40年たったいま、やっと気がつき始めました。