こころの重さ

          


こころの重さ

 暮のけっこうバタバタしている時期に、20代の青年と話す機会がありました。とても前向きな、いろんなことに頑張って生きている青年です。数日いっしょに仕事をしました。オッサンにはたいそう充実感のある数日、楽しい数日でしたよ。


でね、そんな数日でしたが、しばらくたって、ほんのちょっとしたことなんだけど、それがだんだんぼくの心の中で大きくなり、それからその小さな気になることが、なんだかとても大事なことで、それは、ほんとうは、けっこう大きなことなのではないかと、ちょっと大げさだけどそう感じ始めました。
みなさんは人と話す機会がありますか・・・ハハハ、なんかおかしな質問だよね。


そうだね、もちろん皆さんはぼくなんかと違って、普通に、日常を他の大勢の方々と接しながら、会話をしながら、談笑しながら過ごす。それが普通なんだろうね。ぼくはね、なんとも少々内向きなところがあって、なかなか普通にそれができません。だからさっきのようなトンチンカンな質問をしてしまいます。


ひさしぶりの充実した数日は、ぼくにとってはとんでもなく会話のある数日でした。それはまるでぼくが小学生の、子供の、つまり遠足といっしょで、できれば「都コンブ」でも持って行きたかったぐらいです。ん・・・?まてよ。「都コンブ」ってまだ売ってるのかなぁ。まぁいいや。


とにかく独房から放たれて、他の囚人との会話を許された極悪人のように・・・なんでこんな例えになるのかじぶんでもわかりません。わかりませんが、とにかく30歳ほども年齢の違う、自分の娘より若い青年と、いろいろなことを話しました。


ロックンロールバンドに参加している彼は、髪は肩まであります。耳にはリングがいっぱいついています。無意識にそのリングを引っ張りたくなるのをなんども押しとどめましたよ。ほんとに。とにかくそんな彼ですが、口から出る話の内容は、ぼくを数日彼との会話に参加させるだけの、なんとも意味のある内容でした。もちろんぼくにとってですがね。


話の内容が、皆さんにとって興味のある内容かどうかはわからないので控えます。とにかく楽しい会話でした。でね、気になることはその内容ではないのです。それは彼が時折見せた、なんとなく寂しい顔です。それは意識して出せる顔つきではありません。一緒に仕事をしている最中は、仕事と会話に夢中で、それほど気にはなりませんでした。


話しが少し飛びますが「暗い顔」あるいは「寂しい顔」っていう表現、よく使われますよね。言葉の解釈にはいくつか違うものがあるでしょう。けどそれらには、あまり愉快で楽しいといった解釈はないよね。彼は、時折そんな顔をして遠くを見つめました。役者さんのようにね。


さてと、ぼくも時折暗い顔をするようです。もちろん意識してなんかはしませんよ。知り合ったばかりの家人や、やはり数少ない友人に、当初はよく指摘されました。



話はドンドン飛びます。終戦後、ぼくは当時暮らしていた基地の街「府中市」で、米軍のカマボコ兵舎に住む、そのほとんどが米兵と日本人の混血である子ども達と、毎日楽しく遊んでいました。「楽しかったなぁ」。でね、ある日、日本人の子供の家に、ぼく一人が呼ばれお菓子をご馳走になったのです。


ぼくは赤毛でそばかすだらけの顔でしたが、世間で言う混血には見えません。父親を知りませんがたぶんアジア系でしょう。目は青くなく、肌も黒ではありません。だからその家の、その日本人の子供と遊ばすには適当であったようです。ぼくはただお菓子が食べたくて、仲間の目を意識しながら、当時ではたいそう立派なその家に何度となく行きました。


「ユキオ、ちょっと来い。オマエは出て行け」

何回か遊びに行ったある日、とつぜん、今まで会ったことのない老人にぼくは追い出されました。すごい剣幕でしたよ。とても怖く、いまでもそのシーンをはっきりと覚えています。


「なんであんなところのガキを家に入れるんだ。アイノコなんかと遊ばせるな」

言われた言葉の、その意味が、はっきりわかっていたわけではないけれど、ぼくはとても悲しくてね。うつむいてその家を飛び出ました。大国魂神社から今の府中競馬場に続くうっそうとした雑木林を、ぼくはただうつむいて歩きまわりました。泣くこともできずにね。きっととんでもなく暗い顔をしていたと思います。


ぼくの顔をみて、ぼくが世話になっている家の、いつもとても優しくしてくれているお姉さんは、なにも言わずただ抱きしめてくれました。あのね、断言できるけど、頬を落ちる水玉はけっして悲しみを和らげてはくれないね。倍増させるだけ。ぼくは泣かない子供になりました。


以来いろんなことにぶつかり、いろんなめにあってきたけど、そんときのことが、いつも頭から離れないません。頭というよりこころから離れないのです。たぶん死ぬまで離れないのでしょう。重たく残っています。


ロックンローラーの彼が、どのような人生を歩んできたかは知りません。わかりません。でも次にあったとき、ぼくは彼とまたいろんなことを話したいと思います。明るく笑顔で会話ができるといなと思います。古い記憶が必要でない会話をね。


けっして人前で泣くことのなかったぼくですが、なんといまはね、それこそちょっとしたドラマのシーンや、孫のなんでもないしぐさにすぐさま反応します。とんでもなく涙もろいのです。こまっちゃいます。