なにもいいことがなかった・・・街


なにもいいことがなかった・・・街



すっかり夏模様ですね。みなさんは夏が好きですか。ぼくは大好きです。


さてと、いきなりだけど、この雑文を当初からお読みいただいている方々には、なんどとなく繰り返されるこのぼくの「夏好き」云々には、きっと呆れかえられているかもしれませんね。それよりも、だいぶん鬱陶(うっとう)しく感じられているかもしれません。それでもね、ぼくはこころから叫びます。「夏が好きだ!」ってね。


突然だけど、このところよく「ぼくを捨てた街」に思いをよせます・・・ちょっとおだやかではないですね。そう、「ぼくを捨てた街」なんて言う表現は、きっと言われた街からみれば、だいぶ心外でしょう。


じつはね、ぼくの大好きな夏、その夏をぼくの心の奥深くにそれを定着させたのは、ぼくを捨てた、いや、ぼくが捨て置かれたその街なのです。その街でぼくは夏のすべてを覚えました。


それらは多摩川の砂利採石場でもあり、府中競馬場正門横の湧き水を利用したプール(実際は馬のリハビリ施設だったそうです)でも、そして緑に覆われた雑木林でもありました。むせかえるような夏の匂いを放つ、手の指で押せばへこんでしまうアスファルト道路からも、ぼくはまなびました。


夏はぼくらを解放してくれましたよ。日々の辛さや悲しさや、そしてちっぽけな希望からね。


最近、ぼくはそんなグズグズとだらしない邂逅をすることに、一切の躊躇(ちゅうちょ)がなくなりました。むしろ気持ちよくそのことに浸っている自分を、あんがい落ち着いた気分で見ています。たぶんそんな気持ちよさが、きっと、グズグズ邂逅を躊躇させない理由かもしれません。


基地の面影を残すフェンス脇、そんな格好の場所にぼくは車を止めます。そしていつものようにぼくは簡単なお昼をとりました。コンビニのおにぎりとサンドイッチは、ここんところのぼくの昼食の定番でもあります。そして流れる雲を見ながらフェンスの向こうに思いを寄せます。走り回り、遊びまわった友達や犬のことを思い浮かべながらね。


おにぎりをほおばり、フェンス横で耳をすませていると、かれらの歓声が、犬の吼える声が、そしてぼくの大きな声が、向こうから聞こえてきます。遊び道具はなにもありませんでしたよ。棒きれを持って、ただ、ただ走り回っていただけです。


特に雑木林や砂利の採石場は、普通の子ども達が遊びに行ってはいけないところ。そう、だからそのぶん、そこはぼく達だけの聖地でした。嫌な大人達の刺さるような目線も、そこにはありませんでしたからね。


街では、たいへん辛いことだけど、ぼくらはいつも排除されていましたから。それもただ肌の色が違うから、髪の毛が赤いから、目が青いから、親がいないから、そんな、ぼくらにとってはどうすることもできない、しようもない、たったそれだけのことで・・・排除されていましたから。まるで街ぐるみでね。


多摩川採石場のあり地獄のような遊び場では、何人も死にましたよ。雑木林では行方不明になる子がいましたね。それでも、やはりそこはぼくらの聖地です。いえそこだけが安心できる遊び場だったのです。



そんな夏がもう目の前です。そしてぼくはまたフェンス横に車を止めます。思い出だけ、それ以外になにもいいことがなかった街、そんな街へぼくは出かけます。そして何度も何度も、何度でも繰り返し思いを寄せます。いったいいつまで続けるのでしょうかね。笑っちゃいますね。


友達の歓声が遠のき、流れる雲がなくなる頃、ぼくは我に返ります。そして愕然とします。大好きな友達の、彼ら彼女らの、誰一人として、その名前が思い出せないのです。犬のジョン以外はね。


いろんなことを思い出し、いろんなことに感謝し、そしていろんなことに怒りを覚えます。定期的に訪れる街、用もないのに訪れる街、大嫌いな、そして大好きな街、忘れたくない忘れられない街、そして捨て置かれた街。そして夏。