ジョンへ

           


 ジョンへの伝言

 
役所で作成された謄本によると、わが国が独立した昭和27年、ぼくは日本人としての国籍を得たことになっています。つまりそれまでは無国籍でした。終戦後の、まだまだゴタゴタしていた社会です、あっちこっちで同じようなことがあったのでしょうね。


真っ赤な夕陽が府中東芝工場の大きな塔に隠れます。大きな建物など何もない時代、東芝のそこだけは、雄雄しく黒い塔が天に延びていました。


すっかり陽が落ちて、いつもどおり、ぼくはいっさいわき目をふらずに歩いています。行きかう人々たちと目を合わせることを本能的に避ける、そんな習性を何時ごろからか身につけていましたね。

たいそう優しく、ほんとうにぼくに親しく接してくれたお姉さんがいました。そのお姉さんがめずらしく門の前でぼくを迎えてくれています。あまりないことです。すこしとまどいながら、それでも嬉しくて小走りに・・・


立ち止まりました。お姉さんの顔が悲しそうに歪んでいたからです。ぼくはね、自慢じゃないけど悲しいことには慣れっこです。けどお姉さんの悲しい顔はたまりません。きっととても悲しいことが何か起きている。そうに違いない。そしてそれはきっとぼくに関係することだと、そう確信しました。


顔をまっすぐ下に向け、ぼくは本能的に、自身の足もとだけを見ながら通り過ぎようとしました。けど、やはり思うようにはいきませんね。後ろから言葉が、なんだかとっても容赦なく、ぼくに降りかかってきました。


「コボ!ジョンが死んだよ」
「ジョンが死んじゃったよ!コボ」


優しいお姉さんの声が震えています。とっても奇妙なことだけど、そのときとつぜんぼくは、上の方からぼく自身を見ていました。いつごろからか、ぼくは、ぼくの感情に直接入り込む何かを、なに事かを、違うぼくがみている、そんな能力も身につけていたのです。


この日もぼくは、その衝撃をかわしましたね。自身の少しばかり遠くの方で、まるで他人事ように衝撃を処理しました。そうでなければぼくは壊れてしまいます。はっきり断言できます。そうでなければぼくは完全に壊れていたでしょう。壊れるということは自身を失うことです。


お姉さんは、あらぬ方向を見ながらボーットしているぼくを、やはりやさしく抱きかかえ門のなかに入れてくれました。


この日ぼくは、始めて死を正面から意識したようです。「ジョンはどこに行ったの?」何度か聞きました。


それはね、大親友であった犬のジョンが、どこに埋められた、どこに捨てられた、なんで死んだ・・・なんていうことではなく、ただジョンは死んでどこへ行けるのだろう、どこで暮らすのだろうと、とてもおかしなことだけど本気で心配をしたのです。そう思ったのです。


ぼくは心配でたまりませんでしたよ。彼の行った場所には優しいお姉さんがいるんだろうか、ぼくみたいな少し乱暴だけど愉快な友達がいるのか、ちゃんとご飯をたべさせてもらえるのか、頭をはたかれたり、手の甲にタバコを押し付けられたりしないだろうか、ぼくはとても心配だったのです。


ジョンは体中毛だらけだったけど、夏でも毛皮なんか着ていつも汗臭かったけど、言葉もうまく話せなかったけど、唸ってばかりで勉強はしたことがなかったけど、けど友達の中では一番早く走ることができました。いちばん強く噛むことができたのです。そしていちばんぼくを好いてくれていました。
       


ジョン、コボはね、いま元気で暮らしているよ。
ジョン、コボには家族ができたんだ、すごいだろ。
ジョン、コボはね、なんともうすぐ60歳になっちまう。
ジョン、コボはね、いまでもキミのことが大好きだ。
ジョン、コボはわかるんだ。キミが、いつもそばにいてくれるのをね。
ジョン、だいぶ先になるかもしれないけど、きっとまたキミに会えると思う。
 

とても残念なことに、当時コボと呼ばれていたぼくは、その名前の由来すらわかりません。