晴天の朝


          


 晴天の朝

晴れだ!朝から久しぶりの晴れです。屋根裏の小窓から顔をだし、歩いて37秒の雑木林をうかがうと、緑がなんとも濃く、感覚的には雑木林のすみずみまでが緑一色です。そしてそのすべての木々が、生き生きと身を寄せ合っています。


こんなとき、ぼくはあまり意味も無く「いいぞいいぞ」とつぶやきます。意味はあまりというよりほとんどないので、なにがいいのか、どういうことがいいのかなどと問われても、いっさいお答えできません。悪しからず。


早朝8時、朝の早い時間に散歩に出ました。みなさん夏前のこの時期はね、もっと早い6時ごろでも、雑木林はすっかり明るいのですよ。冬のそれとは大違い。ぼくはとっても気持ちよく、しばらく木々を見上げていました。木々のあいだから差し込む光線がなんとも美しく、思わず「GOD」などと、意味も無く声を出しました。


・・・なんとも突然にぼくの口から「GOD」、なんていう単語が出てきたのは、ぼくがとんでもなくトンチンカンである証拠です。それだけ。それ以外にはこれっぽちの(指の先ということ)意味も、やはりありません。


けどよくよく考えてみると、ただのトンチンカンにもちっぽけな思考回路があるのです。であるのできっとそれは、木々のあいだからの光線風景に、恐れ多くも創造者のそれを感じたのであります・・・なんて理由をつけたりしましたが、それはそれで、やはりトンチンカンなのですね。


 いつものぼくは、朝の早い時間にはなかなか散歩には出ることができません。これでも毎日仕事があるのでね。けど、じつはちょっと気になることを、森林浴についてのちょっとした知識を、このあいだ仕入れたのです。仕入れたというより小耳に挟んだのです。そんなんで機会を待ってましたよ。朝早く出かける機会をね。


 さてどんな知識かというとね、それはこういうこと「雑木林に生息する緑濃い木々たちは、日々、生活成長するなかで、普通に、意識しないでも、人間にとってとてもよい環境となるモロモロを、その全身から発散している」です。そうらしいのです。まあでも、ここいらまではたいていの人はご存知ですよね。


ぼくも雑木林はいろんなモロモロを発散するし、いい匂いがするし、落ち着くし気分がいいし、とにかくいいなぁという感覚はありましたが、じつはその発散の度合いがですよ、それは圧倒的に午前中が強く、午後のそれを大きくリードしているらしいことは知りませんでした。


木々が普通に、いつもぼくらを元気付けてくれるモロモロ発散を、日々、その多くを早朝から午前中にかけて発散しているということを。あらためて教えてもらったというわけです。メウロでした。


注  「メウロとは目から鱗(うろこ)ということです。ただしこれもぼくが勝手に短縮して使ってい
るので、よそで使うとバカにされます。ご注意を」


 つまり森林浴なんてしゃれた言葉で言われているところの森や林の散策は、午前中がベストなのです。午前中の勝ちです。ぼくも仕事は午前中と決めています・・・あまり関連があるとはいえません。いやまるで関連がありませんが、それでもぼくは仕事を午前中に集中させています!どうでもいいことですけど午前中なのです。



 でね、普段はだいたいが午後の散歩となるので、このことを小耳に挟んだ瞬間に、なんとも悔しい思いをしたわけです。なもんだから瞬間に考えました。


そうか、それならばここはひとつ、午前中、出来れば早朝の、うんと濃い「木々たちの強力身体にいいぞ発散」を、ぜひ味あわねばなるまいとね。そう考えたのは当然ではありませんか!いけませんか!なにが悪いのですか!・・・


 えーと、だれも文句を言ってませんね。さいきんどうも被害妄想が強くなっています。被害妄想症候群(こんな病名があるかどうかも定かでありません)の成長が、病(やまい)進行が、年とともに加速しています。このままどんどんスピードをあげて、そのままぼくを病が追い越してくれると助かるんですけどね。ハハハハハハ。


 追い越すといえば、ケンタクンはぼくよりずっと後に生まれたのに。ぼくよりずっと年上になっているそうです。だから心身ともに成長するケンタクンに、どんどんぼくは追い越され、今ではぼくの父親にそうとうする年齢です。父親の年齢は知りませんが、だいたいそのあたりでしょう。きっと。いけませんか?