黄鉄鉱の小世界

                             
   


黄鉄鉱の小世界

ぼくは小学校高学年まで、ずいぶんと興味を持って石ころを集めていました。もちろん子どものことですから特に何か目的があったというわけではありません。いま当時を思い出しふりかえれば、興味はあったけど、ただ集めてながめることで満足していた、そんな感じでしたかね。


親はそんなぼくを見て、どういう了見か、子供にはとても不似合いな、たいそう立派な、分厚い岩石鉱物図鑑を買ってくれました。布製でハードカバーのそれはむずかしい漢字だらけで、ぼくにはキチンと文章を理解することさえ出来ませんでしたね。


ただね、本のなかのほとんどの資料がとてもきれいなカラー写真で収められていてね、それはもうびっくりするほどきれいでね、だからその鉱物標本図鑑はぼくの大好きな本になりましたよ。いわゆる愛読書だね。もっとも何度ながめても、内容はキチン理解出ていたわけではありません。けどなんだか、ぼくはすこしだけ大人になった感じがしました。


しばらくは、折々で、小石を拾ってきては図鑑とにらめっこです。そのうちたいがいの石は、だいたい判別が出来るほどになりました。・・・つまりいま風の表現を借りれば、岩石オタク少年になっていたのでしょうね。


学校のみんなが、昆虫採集用の虫箱と網を手に原っぱを駆けずり回っているときに、ぼくは土木工事現場を歩きまわっていました。時代は第二次大戦後の復興期です。帝都東京ではこれでもかといわんばかしに、アッチコッチで盛んに行なわれていました。そんな土木工事現場をね。だから石ころは豊富に転がっていたのです。


あのね、現場でいそがしく働くオトナたちは皆寡黙で、なんだか怖い顔をしていました。まるでまだ闘っているようにも見えましたね。大人達の額から流れる汗、打ち下ろすたびに震える筋肉、濃縮された怒り、そして汗が、土埃と共にとびちります。振り下ろされるツルハシは、いったい誰に向けられていたのでしょう。


たいへん直感的だけど、ぼくが感じたオトナたちのそんな怒りは、奇妙だけどぼくにはしごく心地よく感じられ、いつまでもそこにいて浸っていたいと思ったほどです。なんだかそれこそ奇妙でおかしな子どもですね。


さてたいへん直感的にですが、ぼくにはそのときとどうよう、いえそのときよりももっと大きなオトナたちの怒りをいま感じます。もちろんいまの土木工事現場では、ツルハシを振り下ろして働くオトナたちはいません。上半身はだかで褐色の肌を見せるような現場もありません。許されないからです。ぼくが感じるのはもう少し広い現場なのです。


社会という現場では、無口で寡黙なオトナたちが溢れています。オトナたちはその精神のアッチコッチを、まるで土木工事のように掘り返そうと、作りなおそうと・・・ハハハ、ちょっとばかり考えすぎでしょうかね。


ぼくはね、ある意味たいへんオトナでもある我が大日本帝国国民は、寡黙であるがゆえに、何かを成すために時が必要なんだと思っています。そして時は、そんな寡黙なオトナ達に学習の機会を与えてくれました。普通の国「日本国」の国民となる機会ね。そう考えています。


オトナたちは時間をかけて基礎的な学習をうんとしたようです。でもってオトナ達は知恵と知識をイッパイ吸収しました。ぼくは思います。いま彼らの怒りは、誰に向けられているのでしょう。ぼくの結論はこうです。それは怒りをもつ本人、そうオトナたち自身に向けられているのです。


学習は思考することの大切さを教えてくれたのです。学習することの最大の目的がそこにあるといってもいいでしょうね。あまりにも大きな失った時間、思考を停止していた時間はとり戻せません。だから言いようの無い怒りを、オトナたち自身に感じているのでしょう。


みなさんは黄鉄鉱のあいだに挟まっている水晶の一群を見たことがありますか。日の光に輝く黄鉄鉱に挟まれ、ひっそりとよりそう水晶の一群は、せいいっぱい背伸びをしています。なかよく寄り添ってね。でね、いまふうに言うとオタクな鉱物少年のぼくは、そこに一つの社会が感じてしまったのです。


感性のうんと強いオタク鉱物少年は、そんな水晶を見つめながら、意味も無く涙したりしました・・・ほんとです。


お菓子の箱などを区切り、分類して整理をした鉱物標本は、今でも自慢できます。でもちょっと悩んでいます。もちろん突然思い出しておいていまさらという感じもしますが、それでもぼくのあの大事な鉱物標本は、あれらは、いったいどこへ行ったのでしょうね。



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