空はミルキーブルー

             


空はミルキーブルー


空がどんどん高くなって、どんどんどんどんミルキーブルーになって、ぼくの気持ちを秋に染め始めました。大きく深呼吸をします。どんどん涼しくなっていくのにあったかい何かを感じます。ぼくだけでしょうかね。


ことしは少しばかり秋が早すぎるな。だからね、いつもとおんなじでないことに小心者のぼくは、なんだか不安を感じるのです。でね、そこのところのちょっとの準備不足が、やはり秋を切ないものにするようです。これもきっとぼくだけでしょう。


めずらしく空に悪態をつきました。それでも、それでもミルキーブルーの空はやさしく微笑んでいます。そんなぼくのまったくもって自分勝手な悪態にもね。とにかくはじめっからぼくなんか負けです。もっとも空の大きさとぼくの悪態なんかは、比べること自体がまちがっている、あたりまえか。


突然だけど、空やお天道様がぼくらを生かしてくれていることを、みなさんは意識したことがありますか。少なくてもぼくらの祖先、いや人類の祖先はそれをキチンと理解していました。文明はいったいなにをぼくらに与えてくれたのでしょう・・・


ハハハまた悪いくせがでましたね。きっと読者のみなさまはなにを言い出すんだと目を白黒させ始めているにちがいありません。でもね、ぼくはいつでも意識します、考えています、なにせただだからね。


狩猟採集社会から、トフラーの言う第1の波を経験するあたりまではね、ぼくの考えでは文明としてはりっぱで、おおいに許される範囲だったのです。なんつったって農業の革命は自然をそれほど犠牲にしなかったからね。けど産業革命はいけませんね・・・あっ、この表現は誤解をまねくな、つまりこの「イケナイ」は自然を犠牲にし始めたということです。


だから文明を単に拒否することはまちがいです。人類は文明による恩恵を大いに受け、とにかく成長(人口が)してきたのですから。ただね、ちょっとでいいのでその内容をすこし振り返ってみようと、ちょっと反省してみようと、文明の負を、少し意識してみようと、そう感じたのです。ぼくはね。


とにかくいまだにトフラーのいうところの産業社会にどっぷり浸かっている我が国では、いやいや我が国だけではありませんね、どっぷり浸かっているほとんどの先進国では、社会の基準が「集中化」の一言で表せるのです。そして人々の思考の基準も、そこにあるといっても過言ではありません。


このコラムにおいても、ときどきぼくは「みんなもっと意識しようよ」なることを申し上げています。それは心底そう思っているからなのです。そしてもっともだいじなことはね、その考える基礎の部分です。何かを考えるときには、いわゆるぼくらが持っている常識を捨て去る努力を、そう意識して「する」必要があるのです。


常識を捨てないとね、ミルキーブルーが微笑んでいることを意識できませんよ。お天道様がぼくらを生かしてくれていることを感じることが出来ません。雑木林で威嚇する悪漢黒カラスの集団に、大声で「アーアーアー」などと言い返すことなどできやしませんから。


毎年、夏のギラギラする太陽が気になり、「きょうも暑いかなぁ」などと言って、さんざん楽しんだ夏を、ずいぶんと勝手なセリフで追いやろうとするころ、うっとうしくなり始めたころ、ぼくは海を見に行きます。そんな自分勝手な負い目がぼくに重くのしかかるころ、だから精いっぱいこころを広げたくて、大きくなりたくて、海を見に行きます。そう決めているのです。


今年は台風が少なかったせいでしようかね、ホテル前のビーチは石ころが少なく、どこまでも遠浅で吸い込まれそうでした。そのまま吸い込まれてもよかったのですがね・・・でも気を取り直し、選挙のことを意識しました。もうすぐ秋をむかえるから、季節が交代するから、だからぼくは、いつもより遠くを見つめました。


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