旋律はイ短調

                 


旋律はイ短調

叩きつける鍵盤を探しています。思いのありったけをね。何時ごろからかはわかりません。ずっと探しているのですから。


日常のなんでもない場面で、唐突に空気が割け、こころが割け、ぼくは動揺します。たとえ修復の時間に鍵盤が見つかったとしても、なにを弾くかは決まっていません。唐突過ぎるからです。


メロディを探しに外へ出ます。できるだけ人ごみは避けます。条件が適わないとしてもあきらめません。それでも修復は時間との闘いだから。過ぎるときが混むほどぼくは磨り減ります。


護国寺前を右折して、江戸川橋を過ぎ、石切橋の先で左に曲がりました。コインパーキングは祭日でガラガラ。仕事を先に延ばし少し休むことにしました。神田川の川底を見たかったのでね。40年前もいまも、そこはそれほど変わっていません。ぼくのなかではね。


工事用の赤いパイロンが2つ川底に。川面に際立つ真っ赤なカラーコーンは、いくぶん薄汚れ、汚く、だれも目を留めないことを確信し朽ちています。それでもね、薄暗い高架下の、灰色の世界だけの神田川には赤が際立ちます。風景を明るく染めてくれます。


風景から流れ出るささやきが、メロディとなり、デュエットを奏でるころ、ぼくはメモを終えます。あとは鍵盤にのせるだけ。けど、けれども、今日も旋律は雨模様。


桂銀淑の歌声がすきで、ビートルズの旋律が好きで、50年代のポップスに酔いしれるいい加減なぼくですが、フジコ・ヘミングは別格です。好きとか酔うとか感激とか、そんな言葉があてはまらないのです。


彼女の旋律が黒曜石のやじりとなり、真正面からぼくに突き刺さります。好きとか気持ちいいとか酔いしれるなどといったヤワな感想は、突き刺される衝撃の前に弾き飛ばされます。「ナメンナヨ」とばかしにね。


旋律が短調から長調に変化することを望んでいたのでしょうか。ありもしない、期待ばかりのメロディを、望んでいたのでしょうか。who 誰がいったいそんなもんを奏でるのでしょう。お笑い種です。


 それでもぼくは叩きつけます。鍵盤は白い紙、真夜中の環八、DELLのキーボード。そして目の前のあなた。


 独りよがりの演者には観客は無用でしょうね。いえ正直に言えば観客なんぞはなからいやしません。誰もよりつかないのですから。汚れた真っ赤なパイロンはぼくの分身です。


選挙報道に疲れた翌日、ぼくは長いあいだ波を、そして海を見続けていましたよ。夏の終わりの優しい朝、やはり修復が必要で、胸をいっぱいにしたくて、海のかなたに期待や希望を探した朝、ぼくはけっしてかなわないそれらを、いつもどおり、まるですぐそこにそれらが転がっているように想い続けました。


悲しいね。





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