正しい夢

               
                   


 正しい夢



もうそれほど遠い距離ではないね。アメリカのこと。唐突だけどそう思う。なにせぼくが憧れたアメリカは、とにかく、はるかかなたって言う表現がピッタンコの国だったんでね。だからよけいなことかもしれないが、いまでも気がつくとなんとなく距離を測っている。


アメリカなんて、どうってことないよな」・・・なーんてイキがいきがっていたのが、ほんのつい最近のことのように感じます。ということは、つまり、ぼくはそんだけ歳をとっちまって、悔しいけど、時間軸が狂ってきているってことなのか・・・そんなたいそうなことではないと思うけど、でも、まぁ、しょうがないか。


でね、国連で演説をしている我が国の総理を、その光景を、にぎやかに嬉しそうに報じているメディア画面を見ながら、なんだか今回だけは、正しくキチンと夢を見ていたいと、そんなことを思っています。


ここんところ、毎年のように入れ替わった日本国の首領さまだけど、今回はどうだろうね、しばらく頑張ってキチンとお国のために、いえいえ民のためにお仕事をしてほしい。ぼくはね、ちょっと期待してますよ。理屈なんかありません。でも感じるんだね、今回は違うって。


自分で言うのもなんだけど、でもまいどのことだから気にしないで言うけど、ぼくは動物的感性にとってもすぐれてるんでね、だからうんと今回は期待します。


突然だけどみなさんは知ってますか、ぼくの青春時代まで、我が大日本帝国の帝都東京でも、まだアッチコッチで路面電車が走っていたことを。ぼくはね、シスコのそれに倣い、だいぶんと感じは違ってたけど、けっこう遠回りだったけど、とにかくよく利用しました。確か料金は区間15円だったような・・・


あのね、ぼくの心にある一本道、小さな時分から続く路面電車の一本道がね、すっとアメリカにつながっていてね、もちろんそれにはそれなりの理由があるんだけど、とにかくつながっているんだ。いまでもね。


だからぼくは、いつも、その一本道だけには、現実と夢の区切りをつけられなかった。つけられませんでしたよ。とにかく消えるのが怖かったから。


ぼくの素直な気持ちを言えば、ぼくらの憧れのアメリカは、すっと想い続けていたアメリカは、けっこうずるくてね、意地悪でね、暴力的でした。まぁでも、そこいらがわかりかけてきたのは、ずっと後のこと、そう大人になり始めたころです。


 赤い靴を履いていたかわいい少女はね、異人さんだろうが誰だろうが、とにかくお腹イッパイ飯を食べさせてもらえるなら・・・よろこんでついて行きましたよ、アメリカにね。いま思うとものすごく切ないことだな。けど現実です。


同世代のぼくは、そこいらがとてもよくわかる。ひもじいってことはね、あんがい想像することがむずかしいからね。異人さんがイッパイの街で、赤毛でソバカスだらけで無表情で悪ガキのぼくは、おなじ顔かたちの街に残りました。

不自由のない、お腹イッパイ食べられる家庭にぼくは引き取られ、日本国の国籍を持ち、ぼくは育ちました。そこで始めて知ったんだね、切なさがどんなものかを。皮肉だね。もっとも切ない思いなんてさ、普通に生活できる人々が感じることで、はなからそんな感情をもてない子どもたちがいることをわかってほしい。いまでもね。


甘く薄っぺらいキキララ的な夢から目覚めて、もうずいぶんと経つのにね、まだ底意地の悪い悪魔からの誘惑に勝てません。なもんだから映画も、テレビドラマも、結局はアメリカのドンパチもんになり、社会模様全体の選別が、アメリカなってしまうのです。ダラシナイね・・・ぼくのことですよハハハ。


だいいち距離が縮まったっていったってね、べつにぼくらの国がとくべつ大きくなったというわけではありませんよ。アタリマエカ。


ただぼくのなかで、大人になりかけのころに、見事に砕け散った夢のカケラが、その一つ一つがね、少しずつ、まるでちぎり絵のように重なり、合わさっていこうとしていることは確かなんだ。どんな絵になるんだろう。


ぼくは夢中でしたよ、アメリカにね。



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