黄鉄鉱の小世界

                             
   


黄鉄鉱の小世界

ぼくは小学校高学年まで、ずいぶんと興味を持って石ころを集めていました。もちろん子どものことですから特に何か目的があったというわけではありません。いま当時を思い出しふりかえれば、興味はあったけど、ただ集めてながめることで満足していた、そんな感じでしたかね。


親はそんなぼくを見て、どういう了見か、子供にはとても不似合いな、たいそう立派な、分厚い岩石鉱物図鑑を買ってくれました。布製でハードカバーのそれはむずかしい漢字だらけで、ぼくにはキチンと文章を理解することさえ出来ませんでしたね。


ただね、本のなかのほとんどの資料がとてもきれいなカラー写真で収められていてね、それはもうびっくりするほどきれいでね、だからその鉱物標本図鑑はぼくの大好きな本になりましたよ。いわゆる愛読書だね。もっとも何度ながめても、内容はキチン理解出ていたわけではありません。けどなんだか、ぼくはすこしだけ大人になった感じがしました。


しばらくは、折々で、小石を拾ってきては図鑑とにらめっこです。そのうちたいがいの石は、だいたい判別が出来るほどになりました。・・・つまりいま風の表現を借りれば、岩石オタク少年になっていたのでしょうね。


学校のみんなが、昆虫採集用の虫箱と網を手に原っぱを駆けずり回っているときに、ぼくは土木工事現場を歩きまわっていました。時代は第二次大戦後の復興期です。帝都東京ではこれでもかといわんばかしに、アッチコッチで盛んに行なわれていました。そんな土木工事現場をね。だから石ころは豊富に転がっていたのです。


あのね、現場でいそがしく働くオトナたちは皆寡黙で、なんだか怖い顔をしていました。まるでまだ闘っているようにも見えましたね。大人達の額から流れる汗、打ち下ろすたびに震える筋肉、濃縮された怒り、そして汗が、土埃と共にとびちります。振り下ろされるツルハシは、いったい誰に向けられていたのでしょう。


たいへん直感的だけど、ぼくが感じたオトナたちのそんな怒りは、奇妙だけどぼくにはしごく心地よく感じられ、いつまでもそこにいて浸っていたいと思ったほどです。なんだかそれこそ奇妙でおかしな子どもですね。


さてたいへん直感的にですが、ぼくにはそのときとどうよう、いえそのときよりももっと大きなオトナたちの怒りをいま感じます。もちろんいまの土木工事現場では、ツルハシを振り下ろして働くオトナたちはいません。上半身はだかで褐色の肌を見せるような現場もありません。許されないからです。ぼくが感じるのはもう少し広い現場なのです。


社会という現場では、無口で寡黙なオトナたちが溢れています。オトナたちはその精神のアッチコッチを、まるで土木工事のように掘り返そうと、作りなおそうと・・・ハハハ、ちょっとばかり考えすぎでしょうかね。


ぼくはね、ある意味たいへんオトナでもある我が大日本帝国国民は、寡黙であるがゆえに、何かを成すために時が必要なんだと思っています。そして時は、そんな寡黙なオトナ達に学習の機会を与えてくれました。普通の国「日本国」の国民となる機会ね。そう考えています。


オトナたちは時間をかけて基礎的な学習をうんとしたようです。でもってオトナ達は知恵と知識をイッパイ吸収しました。ぼくは思います。いま彼らの怒りは、誰に向けられているのでしょう。ぼくの結論はこうです。それは怒りをもつ本人、そうオトナたち自身に向けられているのです。


学習は思考することの大切さを教えてくれたのです。学習することの最大の目的がそこにあるといってもいいでしょうね。あまりにも大きな失った時間、思考を停止していた時間はとり戻せません。だから言いようの無い怒りを、オトナたち自身に感じているのでしょう。


みなさんは黄鉄鉱のあいだに挟まっている水晶の一群を見たことがありますか。日の光に輝く黄鉄鉱に挟まれ、ひっそりとよりそう水晶の一群は、せいいっぱい背伸びをしています。なかよく寄り添ってね。でね、いまふうに言うとオタクな鉱物少年のぼくは、そこに一つの社会が感じてしまったのです。


感性のうんと強いオタク鉱物少年は、そんな水晶を見つめながら、意味も無く涙したりしました・・・ほんとです。


お菓子の箱などを区切り、分類して整理をした鉱物標本は、今でも自慢できます。でもちょっと悩んでいます。もちろん突然思い出しておいていまさらという感じもしますが、それでもぼくのあの大事な鉱物標本は、あれらは、いったいどこへ行ったのでしょうね。



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セミ達の協奏曲


                


セミ達の協奏曲


悲しくても涙を流すことが出来ない。ましてや寂しさや辛さや困惑を、声を上げて説明することなど・・・キミにはとうてい無理なことだね。ぼくはキミのそんな瞬間、そんなひとコマを、ほんとうにまれだけど、キミの表情から受け取ることがある。


ぼくにはね、キミのそんな感情や訴えを、たぶん社会一般の大勢の人々よりよくわかるんだ。そこいらのことについては、人並み以上に感性があるとぼくは信じているし自負している。だからただキミの目をみているだけでわかる。そんなことでぼくは、いつも君を見つめている。すこしうっとうしいかもしれないなぁ。


もし、ぼくがいつもいつでも君をじっと見つめているのがうっとうしいなら、そう思うなら言ってほしい。キミの表情でその感情を伝えてほしい。けどね、たとえキミが伝えてくれたとしても、ぼくが気づいたとしても、ぼくはやめないよ。キミを見つめることをね。


なぜならほんとうにまれなことだとしても、ぼくはそんなキミの感情を絶対に見逃したくないから。キミはぼくよりうんと大人だし、強いし、優しい。それゆえにぼくは、悲しみや辛さやを瞬時に押さえ込んでしまう、大人であるキミを、まるで「こ・ど・も」のように心配します。


「時をとめる」、そんなSF小説のようなことを願ったことがあります。一度や二度ではありません。なんども考えましたよ。もちろん物理的に現象的にいまの科学では無理なことを承知でね。それでも感性を固定することは可能だなんて、わけのわからない議論をいまでもしている。


いまこの瞬間、いまのこの時、この時間の感情を固定させる。それら感情表出の瞬間を一つの塊として、自由にぞんぶんに操作してみたい。なんてことをぼくはしんけんに考えました。何度もね。笑われるだろうけどいまでも考え続けています。


それは、ぼくらが一生のうちで、なんど遭遇するかわからないけどかならず経験するであろう瞬間、つまりとっても大事にしたい瞬間や、いつまでも記憶に残しておきたい瞬間や、二度と感じることがないであろう貴重なひと時・・・そんな時間・瞬間を、ただの思い出にすることだけは避けたいからなんだね。



「思い出なんて、ただ、ただ遠ざかるだけ」そんな歌詞に出てくるフレーズみたいに、かんたんに遠ざけたくないのでね。


「ウワーッ、ハチそっくり」
「ほんとハチみたい。カッコイイー」


昼下がり、近くの公園でそんな声を掛けられました。散歩の途中です。テレビでいま盛んに宣伝されている外国映画の、大きさといい、風貌といい、可愛らしさ・・・といい、その映画の準主役といってもいい「ハチ」という犬に、我がケンタクンが似ているからでしょう。きっと。


声をかけられたケンタクンはなんだかいつもと違いますよ。ここだけの話ですけどね、彼は日本語が不自由ですが、そのぶん人間の表情でイロイロなことがわかるのです。ぼくと同様にね。


さらにここだけの話ですが、彼は相当程度いろんなことを理解します。でもって若くカワイイ女子高生とかの集団に遭遇し「カッコイイー」などと言われると・・・背をピンと横に張り、尾をいつも以上に持ち上げ、どうみても三角な目で流し目をしたりしちゃうんです。


とたんに態度が変わるのですね。これがまたじつに見事に変わりますから。これが若い男子校生や、日陰でくつろいでいる爺様や、草刈をしている中年オヤジなどに遭遇すると、彼らが何もしなくても、話しかけなくても、ちょっとでも目を合わせれば歯をむき出し威嚇するのにね。


しかーし、女子高生なんかには違います。知能程度がそうとう低そうに(文脈上、いきがかり上、とりあえず表現していますが本意ではありません。だからそこいらは話半分で・・・いえ話し1%ていどに理解してください)思われる今回の女子高生集団である彼女らがみても、ちゃんとわかるくらいに背ピン・尾高・三角流し目で「ニカッ」と笑うのです。ほんとです。


でもって、うかつにも彼女らにそんな態度をしたことをぼくに悟られていないか心配のようで、チラッとぼくを見たりするのです。もちろんほとんど動物とおなじくらいの感性をもつぼくは悟っています。わかっていますが、でもわからなかった風をしてソッポを向くのです。そういうところはぼくもけっこう大人なのです。ハハハハハ・・・


さて8月の雑木林では、夏の終わりが近いことを知るセミ達が、これでもかとばかりに、まるで豪雨のように鳴き声を地上に降りそそいでいます。ぼくらは倒木に腰掛、緑一色の世界で、ぼくらだけのコンサート会場で、贅沢なひと時を味わいます。セミ達の終わりのない協奏曲はエンディングさえぼくらの意のままです。


散歩コースの畑では、もうトウモロコシは退場ですね。昨日友人からヒマワリの便りがありました。我が住まい前の畑でもヒマワリの縄張りが減り、そのぶんコスモス組が、徒党を組んで勢力を広げつつありますね。


なんだか今年の夏は、まるで徒競走のように駆け抜けていきそうです。ここ数日の朝晩の涼しさが、なんとも心地よく、また寂しくもあります。



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雨・帰り道


雨・帰り道


雨がいまにも降りそうな午後、ぼくはいつのものように散歩にでました。もちろんケンタクンもいっしょです。


この数日雨が続きましたね。なもんで散歩コースはぬかるみだらけ、ぼくはすこしばかり洒落た、つまり昔からある真っ黒な長靴ではなく、黄色いラインが上の方に付いていたりする今風の、ちょっとばかしオジサンには気恥ずかしい長靴を履いて出かけました。


この時期にしては、そうだね、いつもの年と違って、ぜんぜん夏らしくないこの8月だからかなぁ、けっこう冷たい雨に途中で出会いました。出会いましたって・・・なんておかしいかな。まぁ、いいや。でね、それでもぼくは歩きつづけましたよ。雨ガッパもなしで。なにせいきなりのザーザー降りでしたから。


そうだ、お知らせしなければいけないな。このコラムの雑文が、ときどきとんでもなく長いあいだ更新されないことがあります。最近はときどきでもないかな、とにかく前回の更新からだいぶ経ってしまいました。 


じつわね、ぼくはまたしばらく病気だったのです。いわゆる精神の病気です・・・ちょっとちがうな。精神の病気にはちがいないのだけど、それはぼく自身のたいへん身勝手な自己判断での診たてで、いわゆる世間様が理解している精神の病気とは違うのです。


あ、いや、基本的にはそれほど違わないのだけど、その病の結果としての、社会に与える影響という、それこそほんとに小さな枠組みの中では、少し違います・・・なんだかややっこしいな。


とにかく大きな意味ではいっしょかもしれませんが、拘束して強制入院させるのはかわいそうだな。そこまでは必要ないだろうな、たぶん。といった、まぁその程度の説明がいちばん無難なところであるところの精神の病です。


ただね、それでもぼくのそれは、ぼくにとってはたいへん複雑で重たい病であることには違いなく、だから深く悩むのです。なにしろひどいときは、雑木林に住まう悪漢黒カラスの集団が、ただ鳴いているだけなのに、なにかぼくの悪口を言っているに違いないと、それこそ深く深く悩むほどですから。


60を前にして、そんな時期がときどきあります。気のせいかその発生する頻度が、だんだんあがってきました。ちょっと前に社会復帰(これも自己流の身勝手診たて)できたばかしなのになぁ。まいったなぁ。


長靴をはいての散歩は、足元のうっとうしさはあるけど、それ以上に水たまりをジャバジャバ歩けることの嬉しさの方が断然勝っていて、病が回復しつつあるいまでも、いえ回復しているときでも、ぼくはわざとジャバジャバさせて水たまりを歩くのです。けどケンタクンはね、露骨に顔をしかめます。水がかかるのが嫌みたいです。だから怒ります。


基本的にぼくよりも大人であるケンタクンは・・・えーとですね、はじめてこの雑文をお読みになる人がいて、それでもって「ケンタクン」とは何者だと、首を右45度にカタムケ(右に)、でもって人様をカタカナで表記するなどけしからんとばかり机を叩く方がおられるといけませんね。


あのじつは、なんとケンタクンは犬なのです・・・けど限りなく人間に近い犬です。犬ですがぼくにとっては相棒で親友で仲間です。最近は父になりつつもあります。相棒と親友と仲間の違いはよくわかりませんが、とにかく大の仲良しなのです。人間以上です。


それからケンタクンの発音ですが。ケ ン タ ク ン です。ケの部分が強勢となります。けっして ケ ン タ ク ン などと言って、語尾のクンを強勢として発音しないようにしてくださいね。ケンタクンではアフリカ犬になってしまいますからね。


 キチンとした大人犬のケンタクンは、最近は、ぼくの行いを黙ってみていませんよ。オヤジの水たまりジャバジャバ歩きには、本気で牙をむき出し、ぼくを制止させようとします。やめないと飛び掛ります。ほんとです。このあいだなんかは、ぼくは見事に水たまりに転がされ、全身ドロだらけになり、泣いて帰りました。ほんとです。


とにかくケンンタクンとぼくでは、最近はまるでぼくの方がお子様で、このごろは彼に引かれて歩いています。逆転しているのです。いままで彼が生まれてからずっとぼくはお父さんでした。ちょっと前に兄弟になり、仲間になり、弟になり・・・たぶん、これからは、もっともっと立場が逆転するのでしょう。


人間同士の付き合いと比べてしまうと、ぼくらはそれほど長い年月いっしょにいたわけではありません。けれどもたいへん一方的で、かれには迷惑だったろうけど、ぼくは深く、濃く、繊細に接しています。でね、できることならそれらが彼にとって、迷惑の度合いより、「楽しかった・嬉しかった・愉快だった」なんて感じてくれると嬉しいです。


そんな昨今ですが気がかりはね、言葉でキチンと言い表すことが出来ないけど、精神の奥深いところに不安が芽生えていることです。そう感じます。たぶんそんな気持ちにさせる要因なのでしょうか、最近はちょっとした気持ちの隙間に、ケンタクンとの日々の回想が入り込んできます。隙間のわずかな時間に、彼との毎日が走馬灯のように回想されるのです。


ぼくには、いわゆる動物的なカンが人並み以上にあります。これは自信をもって断言できます。それは人生のアチコチでぼくを助けてくれましたから。だから、だからうんと不安なのです。ひょっとしてもうそんなに長い時間が、ぼくらには残されていないのかもしれません。


とにかくぼくは幼子のように、何時までも人間の家族とおなじように一緒にいたいと日々念じています。なにがなんでも彼がずっとぼくのそばにいてくれることを、いつも、そしていつまでもそうあることを願っているのです。


急な信心でたいへん恐縮ですが、仕事場で拾ってきた木っ端で神棚を作りました。でもって毎朝お茶を供えています。玄関から出るときは胸に手を当てクロスをきります。絨毯があればひざまずきアラーに祈りを、道端にお地蔵さんを見つれば手を合わせます。


不謹慎と言われようが、神を冒涜していると言われようが、火あぶりにされようが、百叩きの刑を宣告されようが平気です。彼がいつまでも元気であってほしいからね。


雨が続いてぬかるむ道は、運動靴では荷が重すぎますね。黄色のリボンが付いていようと、だんぜん長靴がその真価をはっきします。だからとつぜんの雨なんかへっちゃら。黄色リボン長靴のおかげで足元だけは軽快でした。



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晴天の朝


          


 晴天の朝

晴れだ!朝から久しぶりの晴れです。屋根裏の小窓から顔をだし、歩いて37秒の雑木林をうかがうと、緑がなんとも濃く、感覚的には雑木林のすみずみまでが緑一色です。そしてそのすべての木々が、生き生きと身を寄せ合っています。


こんなとき、ぼくはあまり意味も無く「いいぞいいぞ」とつぶやきます。意味はあまりというよりほとんどないので、なにがいいのか、どういうことがいいのかなどと問われても、いっさいお答えできません。悪しからず。


早朝8時、朝の早い時間に散歩に出ました。みなさん夏前のこの時期はね、もっと早い6時ごろでも、雑木林はすっかり明るいのですよ。冬のそれとは大違い。ぼくはとっても気持ちよく、しばらく木々を見上げていました。木々のあいだから差し込む光線がなんとも美しく、思わず「GOD」などと、意味も無く声を出しました。


・・・なんとも突然にぼくの口から「GOD」、なんていう単語が出てきたのは、ぼくがとんでもなくトンチンカンである証拠です。それだけ。それ以外にはこれっぽちの(指の先ということ)意味も、やはりありません。


けどよくよく考えてみると、ただのトンチンカンにもちっぽけな思考回路があるのです。であるのできっとそれは、木々のあいだからの光線風景に、恐れ多くも創造者のそれを感じたのであります・・・なんて理由をつけたりしましたが、それはそれで、やはりトンチンカンなのですね。


 いつものぼくは、朝の早い時間にはなかなか散歩には出ることができません。これでも毎日仕事があるのでね。けど、じつはちょっと気になることを、森林浴についてのちょっとした知識を、このあいだ仕入れたのです。仕入れたというより小耳に挟んだのです。そんなんで機会を待ってましたよ。朝早く出かける機会をね。


 さてどんな知識かというとね、それはこういうこと「雑木林に生息する緑濃い木々たちは、日々、生活成長するなかで、普通に、意識しないでも、人間にとってとてもよい環境となるモロモロを、その全身から発散している」です。そうらしいのです。まあでも、ここいらまではたいていの人はご存知ですよね。


ぼくも雑木林はいろんなモロモロを発散するし、いい匂いがするし、落ち着くし気分がいいし、とにかくいいなぁという感覚はありましたが、じつはその発散の度合いがですよ、それは圧倒的に午前中が強く、午後のそれを大きくリードしているらしいことは知りませんでした。


木々が普通に、いつもぼくらを元気付けてくれるモロモロ発散を、日々、その多くを早朝から午前中にかけて発散しているということを。あらためて教えてもらったというわけです。メウロでした。


注  「メウロとは目から鱗(うろこ)ということです。ただしこれもぼくが勝手に短縮して使ってい
るので、よそで使うとバカにされます。ご注意を」


 つまり森林浴なんてしゃれた言葉で言われているところの森や林の散策は、午前中がベストなのです。午前中の勝ちです。ぼくも仕事は午前中と決めています・・・あまり関連があるとはいえません。いやまるで関連がありませんが、それでもぼくは仕事を午前中に集中させています!どうでもいいことですけど午前中なのです。



 でね、普段はだいたいが午後の散歩となるので、このことを小耳に挟んだ瞬間に、なんとも悔しい思いをしたわけです。なもんだから瞬間に考えました。


そうか、それならばここはひとつ、午前中、出来れば早朝の、うんと濃い「木々たちの強力身体にいいぞ発散」を、ぜひ味あわねばなるまいとね。そう考えたのは当然ではありませんか!いけませんか!なにが悪いのですか!・・・


 えーと、だれも文句を言ってませんね。さいきんどうも被害妄想が強くなっています。被害妄想症候群(こんな病名があるかどうかも定かでありません)の成長が、病(やまい)進行が、年とともに加速しています。このままどんどんスピードをあげて、そのままぼくを病が追い越してくれると助かるんですけどね。ハハハハハハ。


 追い越すといえば、ケンタクンはぼくよりずっと後に生まれたのに。ぼくよりずっと年上になっているそうです。だから心身ともに成長するケンタクンに、どんどんぼくは追い越され、今ではぼくの父親にそうとうする年齢です。父親の年齢は知りませんが、だいたいそのあたりでしょう。きっと。いけませんか?

コミュニティ

              
       
 
 コミュニティ

 またまた突然ですが・・・とこんなふうに書き始めましたが、たったこれだけ、ほんの出だしなのに、ちょいと立ち止まってしまいました。


あの、こんなふうに、文章の書き始めにですよ 「たいへん突然ですが」 なんていう表現・表記は、はたして正しいのだろうかと、いやはやそんな疑問が頭をかすめてね。なもんで止まったわけです。


まぁ、しかし、ぼくの場合はほとんどが正しくないのです。ぼくは文法や文章作法を、意識して無視することがあるのです。言い訳ではなくて、ほんとにわざとなんです。だから、たぶん読みづらかったり、文章の前に戻らないと理解できなかったり、ぼくが言うのもなんだけど読む方もたいへんだよね。


そのうえこう言っちゃあ何だけど、ぼくの場合の「突然ですが」は、いまにはじまったことじゃありません。しょっちゅうなんです。なもんだから賢明なる読者のみな様には 「また始まったよ」 てなことで簡単に片付けられてしまいます。しまいますが、なにを隠そう、今回も立ち止まろうが立ち止まらず筆を進めようが・・・たいしたことではありません。ハハハハハハ・・・


さてと、とにかくそのとつぜんですが、ぼくは日常をですよ、それこそ平々凡々と、そしてなんとも愉快に楽しく暮らしたいと、常日頃からそうおもっているのであります。まあたいがいの人はおんなじ気持ちだと思うけどね、とにかくぼくもそう思うのであります。けど世の中はね、そう簡単にはいきません。


ぼくは、これでもキチンとした大人になるべくずいぶんと長いあいだ頑張りましたよ。20代前後に思うところがあって少々はりきり、でもって飛び跳ね過ぎたので、少しばかりお灸をすえられたことがありました。でもそれ以降、今日まで、とにかく世間様から後ろ指をさされないよう生活しています。つまり大人社会からの非難を、表立って受けることを極力避けてきたのです。お灸もすえられていません。


でね、そんな毎日を日々暮らす昨今ですが、前々から感じていることだけどとても気になることがあります。


たとえばみなさんは、とつぜんまえぶれもなく、はじめて会う人から、自身の所属やごくごく個人的なことを問われたとしたらどういう気持ちになりますか。たとえばね、よって立つ地域であったり、学校であったり、出自であったりしたらどうでしょう。とつぜん、そして唐突にたずねられたら動揺しますよね・・・ぼくだけかなぁ。


ぼくはけっこうそんな場面に出くわします。でもっていつも深く考え込んでしまいます。


だいたいがさぁ、なんではじめて会った人からですよ、そんな個人的なことを聞かれなきゃいけないんだろ。そう思うんだよね。BUT、でもね、我が大日本帝国では、それはそれほどおかしなことではなく、さらに言えば他人と始めてコミニュケーションをとる前提としての、その手段でもあるそうなのです。なんとも ヘヘー だよね。


 1 「どちらにお住まいですか」
 2 「お生まれはどちらの方で」
 3 「ご両親はご健在ですか」
 4 「何年生まれですか」

 
 1番目はどうにか返答が可能です。2番目の問いもなんとかOK・・・でもないな。ほんとうを言うと、お生まれもぼくの場合は怪しいのです。育ててくれた親が言ってました。


「えと、キミの場合はね、たしか紀伊半島のあたりと聞いたよ、いや違ったかな、イヤイヤきっと北九州地方に違いない」・・・


あの、ぼくはヒミコじゃないんだからね。とにかくそれ以後の問いは、ただただオロオロとし、でもってシドロモドロになり、しまいにゃあうつむくしかないんだね。


 さてと、よく言われることに、「戦後の日本社会は、社会的基礎としてのコミュニティが、どんどん失われている」てなことがあります。でもね、こいつはぼくにとって、まったく「なんだかなぁ」なのです。つまりね、戦前のそれは、あるいは戦後も持ち続けようとしたそれは、ただの村意識そのものだということです。


そこには「異者との共存」あるいは「社会的許容の増大」を目指す、たとえは宮台真治が言うところの「包摂」が、みあたりません。非常に偏ったかたちでの共存、そして多様性を排した許容が有るだけです。


だからね、戦後の我が大日本帝国における社会性の変遷は、ある意味では正しい方向なのです。私たちが住む社会が、村意識から、ほんとうの意味でのコミュニティ、つまり「異者との共存」や「社会的許容の増大」、を多様なる参加のもとになす方向に進むには、どうしても一度、私達が基礎的に持つ古い意識の破壊が必要と考えるからです。


突然ですが、ここらあたりまで書いて、言いたいこといって、ちょっと立ち止まりました・・・


え、なんですか、もっとはやく立ち止まれって。そいつは失礼をいたしました。ちょっとえらそうだったかなぁ。

風にさそわれて


         
  
 

   風にさそわれて

風にさそわれ自転車にまたがりました。初夏の郊外でも走ってみるか・・・風がぼくをそんな気分にさせました。かわいそうだけどケンタクンお留守番。ぼくが一人で出かけるのを見て、不満そうに鼻を鳴らす彼を残し、心を鬼にして出かけました。


そう、それはほんとうに風にさそわれたとしか言いようのない衝動でしたね。


さてと、こうみえてもぼくは、もうすぐ還暦の「アラカン」なのです。なもんだから出来るだけフラットなコースを選びましたよ。畑や、雑木林や、さいきん妙に増えている温室を横目に、ぼくは走ります。


ふと視線が気になり、アッチコッチ見渡しました。すると、なんと、発信源は道端に咲くタンポポなのです。タンポポの生き残りが、何か言いたげにぼくを見つめていました。ぼくは野に咲く花、昼寝をしている猫、白い雲、いそがしく働く蟻、そんな連中によく声をかけます。


あのね、人間より連中のほうが、うんと話しやすいよね。ぼくだけかなぁ。さすがに蟻さんや草花に話しかけるときは人の目を気にしますよ。でも猫や犬や悪漢黒カラスといった、ある程度の連中には遠慮なし、気にせず声をかけます。


「やあ、アリさん、風が気持ちいいよね」

声を掛けられたアリさん達は、まるでぼくを無視し一生懸命冬支度・・・まだ早いかなぁ。とにかくご馳走を運んでいます。無視するのはアタリマエカ。


「やあ、サンポかい猫さん。君らは放し飼いでいいね」

日向ぼっこの場所探しに夢中なドラ猫さんは、うるさそうにぼくを睨みます。ゴメン。


そんなアブナイおじさんですが、風にさそわれお日様に包まれタンポポに見つめられる気分のよい日は、さらにもっと精神を開放させます。もっとアブナイおじさんになるのです。とりあえずバス停のおばあさんに「こんちはー」と言ってみました。けっこう勇気がいりましたよ。きょとんとした顔をしてぼくを見ています。恥ずかしがることないのになぁ・・・


久しぶりにガンガンゴンゴンと走ったので汗をかきました。まぶしく輝くアスファルトに自転車を止めてすこし休憩です。そして行きかう車や人々をみながら、ぼくは、とつぜん風になりたいと感じました。でね、風のことを思っていてはたと気がつきましたよ。ぼくはもうじゅうぶん風なんだと。


好き勝手に、気の向くまま足の向くまま、精一杯わがままに生きているぼくは風です。でね、友達の定義はむずかしいけど、とりあえずぼくの定義では、人間の友人はゼロ。友人は犬が一匹いるだけなんて、それこそ自慢にもなりゃしないね。まぁ、でも、しょうがないな。なにせ風なんだから。


風のぼくは、武蔵野の面影が、それでもまだまだ散見される地に住んでいます。家から歩いて37秒のところに雑木林があるのですよ。すごいでしょ・・・


えっ、何がすごいのかって。そうか、世間の人々には、ただ近所に雑木林があることなんか、そんなにすごいことではないんだろうね。反省だな。ぼくはとにかく風で、感性もアッチコッチと定まらず世間とかけ離れています。なもんで、キチンとした大人から、大人社会から、いろんなことでしょっちゅう勘違いされます。


だから言葉を控えます。そしてそのぶん精神の奥深くに感情を蓄積します。そして、そして時々走り抜けます。人生を、輝くアスファルト道路をね。夏草の香りに包まれ、もの言うタンポポにウインクをし、バス停のおばあさんを探しながら走ります。


突然だけど、走りすぎて限界がやってきて、かく汗もなくなってしまい、でもって生きる為にしょうがなく人間の友達をつくり、風がやんだら、ぼくはどこへ行くのでしょう。風であることをやめたらどこへ行ったらいいのでしょうかね。

ジョンへ

           


 ジョンへの伝言

 
役所で作成された謄本によると、わが国が独立した昭和27年、ぼくは日本人としての国籍を得たことになっています。つまりそれまでは無国籍でした。終戦後の、まだまだゴタゴタしていた社会です、あっちこっちで同じようなことがあったのでしょうね。


真っ赤な夕陽が府中東芝工場の大きな塔に隠れます。大きな建物など何もない時代、東芝のそこだけは、雄雄しく黒い塔が天に延びていました。


すっかり陽が落ちて、いつもどおり、ぼくはいっさいわき目をふらずに歩いています。行きかう人々たちと目を合わせることを本能的に避ける、そんな習性を何時ごろからか身につけていましたね。

たいそう優しく、ほんとうにぼくに親しく接してくれたお姉さんがいました。そのお姉さんがめずらしく門の前でぼくを迎えてくれています。あまりないことです。すこしとまどいながら、それでも嬉しくて小走りに・・・


立ち止まりました。お姉さんの顔が悲しそうに歪んでいたからです。ぼくはね、自慢じゃないけど悲しいことには慣れっこです。けどお姉さんの悲しい顔はたまりません。きっととても悲しいことが何か起きている。そうに違いない。そしてそれはきっとぼくに関係することだと、そう確信しました。


顔をまっすぐ下に向け、ぼくは本能的に、自身の足もとだけを見ながら通り過ぎようとしました。けど、やはり思うようにはいきませんね。後ろから言葉が、なんだかとっても容赦なく、ぼくに降りかかってきました。


「コボ!ジョンが死んだよ」
「ジョンが死んじゃったよ!コボ」


優しいお姉さんの声が震えています。とっても奇妙なことだけど、そのときとつぜんぼくは、上の方からぼく自身を見ていました。いつごろからか、ぼくは、ぼくの感情に直接入り込む何かを、なに事かを、違うぼくがみている、そんな能力も身につけていたのです。


この日もぼくは、その衝撃をかわしましたね。自身の少しばかり遠くの方で、まるで他人事ように衝撃を処理しました。そうでなければぼくは壊れてしまいます。はっきり断言できます。そうでなければぼくは完全に壊れていたでしょう。壊れるということは自身を失うことです。


お姉さんは、あらぬ方向を見ながらボーットしているぼくを、やはりやさしく抱きかかえ門のなかに入れてくれました。


この日ぼくは、始めて死を正面から意識したようです。「ジョンはどこに行ったの?」何度か聞きました。


それはね、大親友であった犬のジョンが、どこに埋められた、どこに捨てられた、なんで死んだ・・・なんていうことではなく、ただジョンは死んでどこへ行けるのだろう、どこで暮らすのだろうと、とてもおかしなことだけど本気で心配をしたのです。そう思ったのです。


ぼくは心配でたまりませんでしたよ。彼の行った場所には優しいお姉さんがいるんだろうか、ぼくみたいな少し乱暴だけど愉快な友達がいるのか、ちゃんとご飯をたべさせてもらえるのか、頭をはたかれたり、手の甲にタバコを押し付けられたりしないだろうか、ぼくはとても心配だったのです。


ジョンは体中毛だらけだったけど、夏でも毛皮なんか着ていつも汗臭かったけど、言葉もうまく話せなかったけど、唸ってばかりで勉強はしたことがなかったけど、けど友達の中では一番早く走ることができました。いちばん強く噛むことができたのです。そしていちばんぼくを好いてくれていました。
       


ジョン、コボはね、いま元気で暮らしているよ。
ジョン、コボには家族ができたんだ、すごいだろ。
ジョン、コボはね、なんともうすぐ60歳になっちまう。
ジョン、コボはね、いまでもキミのことが大好きだ。
ジョン、コボはわかるんだ。キミが、いつもそばにいてくれるのをね。
ジョン、だいぶ先になるかもしれないけど、きっとまたキミに会えると思う。
 

とても残念なことに、当時コボと呼ばれていたぼくは、その名前の由来すらわかりません。