遊歩道・雨




 遊歩道・雨



 レンガの遊歩道、雨が斜めになって落ちてきます。ケヤキの小枝が、意識せず無遠慮でもあるけど、でも仕方なしに歩道に張り出ています。通り人に、うっとうしいと、邪険な態度で振り払われるのが心配です。そんなことでぼくは少し立ち止まりました。


 ほんとに余計なことだよね。でもそんなことで立ち止まるのが・・・しょっちゅうです。野良犬を見れば車を止め、幼い子が泣いていれば親を探し、お年寄りが道端でしゃがんでいれば声を掛けます。やはり余計なこと・・・でしょうかね。


雨が斜めに落ちることに気がついたのはだいぶ昔です。すこしばかりの行き違いで・・・いや先方にしたらうんと大きな問題だったのでしょう。そのことでぼくは、いつものように居場所を変えました。本心ではないのにね。いつものことです。まるで慣れっこになってしまいました。


立ち止まるのにも理由があります。そのときもぼくは、希望に胸をふくらませていた毎日が、こんなに簡単に消え去るものかと、水道橋のホームで、電車を待ちながら、雨の街をにらみつけていました。未来への期待、ぼくにはとんでもなく貴重なのにね。無念。


 雨のホームでは、立ち止まる人はいても、街を睨み続ける人はいません。アタリマエカ。通り過ぎる人ばかりのホームは騒々しく、とにかくさわがしい。それでもそれがここちよく、居心地がよく、いつしか時刻表横のベンチは、ぼくの部屋になっていました。


合唱した手の親指が、アゴの重さに悲鳴を上げ始め、ぼくを帰路に催促させます。誰に合図でしょう、ぼくは小さくうなずき電車を迎えます。乗車、何時か着けるだろう終着駅に向けて。


すこしばかり雨が続いています。あのさぁ、雨の遊歩道はね、通り人がすれ違うには狭すぎるね。小さな女の子、学校帰りでしょう、ランドセルをしょって、バッグを持って、そのうえ傘をさしています。友達と楽しそうに話しながら笑いながら歩いてきます。


ぼくとすれ違うとき、彼女達はこまった顔をしていました。でもってすこし苦笑いしながら横になり、一列になってぼくを見上げます。


 「ありがとう」 ぼくは苦笑いでなく、満面の笑みでこたえました。うれしくなって、温かくなって、こたえました。彼女たちは何事もなかったように、笑いながら傘をさしながら通りすぎます。笑顔がうらやましく、少女たちの時代がうらやましく、しばらく過ぎ往く彼女達を見続けました。


 すこしばかり乾燥した日々を、この数日、秋の雨が潤してくれています。木々が、草花が大きく手を広げ、からだいっぱいで喜んでいます。きっと待ちわびていたのでしょうね。


どれだけまっすぐ見つめても、斜めに降る雨は、ぼくには斜めにしか見えません。垂直に落ちることがあるのでしょうか。期待してもいいのでしょうか。いつか、かならず希望をかなえてくれると。


自然はいいよね。けっして裏切らないから。ぼくはね、努力は惜しむことは避けたいのです。ほんとですよ。みんなと仲良く楽しくやっていけたらと、いつでも思っています。いまでもね。ただ我慢が出来ないのです。理不尽なことには。


 
オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

上得意客になりたくて

                

          



上得意客になりたくて


まいったなぁ、まいどいきなりですが、なんと今月のカード引き落としが・・・もちろん我が家のことですから、世間様から比べればたいしたことはないのです。ですがね、ぼくにとっては、けっこう深刻な額なのです。なんとも問題ばかりの日常です。


犯人はアマゾン。アマゾンの請求額がとんでもない額になっているのです。いえね、とんでもないっていたって、やはりぼくの場合は、それほど皆様が愕然とする金額ではありません。ただこの数ヶ月、思うがままに、欲望のままに、何の躊躇もなく、カタッパシからオーダーをしていました。それが原因です。マチガイナイ!


なもんだから、読んでない本、読みたい本、読まなければいけない本、みたいDVD、インストールするだけのソフト、整理すべく購入したファイルケース、携帯式旅行セット、オバケのお面(なんで買ったのかも覚えていない)その他モロモロが、あたりかまわず3階の屋根裏の小部屋に、山積みとなって、ぼくにプレッシャーを掛け続けているのです。


屋根裏のそいつらがね、ちょっと前から気にはなっていたのです。気がついてはいたのですよ。連中がこっちをみながら 「ったくーどうすんだよー、なんとかしろよ、ナメンナヨ」 とばかしにぼくを睨みつけているのをね。でもぼくは、生まれつき、プレッシャーは無視するようにセットされているんでね、なもんだから無視していました。


こいつがいけません。いけませんよ無視は。ちょっと大きな金額になっていました。ふだんから普段からキチンとした大人を目指していて、でもって用意周到なぼくは、なんとかカミさんに見つからないようにと、カード会社からのお知らせはネットのみにしています。注意してるんです。でもね、ヤマトの兄ちゃんがね、あっ、ヤマトの兄ちゃんとは、クロネコヤマト便のお兄ちゃんのことです。


彼がね、もちろん仕事の荷物が定期的にあるので、近所を廻るクロネコ配達員のみんなとはほとんど顔見知りなんだけど、その中のひとりに、妙に親しみやすい彼(このあたりの表記には気を使っています)がいてね。その彼がね、来るたんびに 「深津さーん」またアマゾンからですよー」なーんてのたまうのです。大声でね。


しかも悪いことに、アマゾンのサービスであるプライムは、速攻精神に満ち溢れ、朝早く頼むと夕方には到着します。だいたい荷物は夕方と決まってるんです。しかも、それは、なんと、いつもカミさんがいる時間なのです。

「今日も本ですかー。アレー今日は重いから3冊ぐらいありますねー」・・・


テ・テ・テメェーー イヤガラセカ!自制心があとすこし少なければ(普段から少ないのですが)、5歳程度の幼児の自制心であれば(ぼくのいまとあまりかわりません)それであれば、得意の左フックをかませていたところです。しかし、キチンとした大人を常日頃から目指しているぼくは、怒りをなんとか静め、しかし血走った怒り目で、早く帰れと手を外にふる毎日・・・毎日アマゾンから荷物が来てはいけませんね。やはり。


 こうなるとアマゾンのプライム会員になったことが、かえってアダになったわけで、とにかくそいつは送料が無料で即日(たいていは翌日)配達が売り。なもんだから、けっこうせっかちな面もあるぼくは、これまたすぐ飛びついて会員になっちゃったのです。


だから、読みたい本があると、すぐさまカートにポトンです。見たい映画があれば(最近はグラン・トリノほか数本を予約してありました)ポトン、おもしろそうな小物(文房具が好きです)があればポトン、ポトンポトンといろんなものをカートに突っ込んじゃいます。最高の甘っちょろい客なのです。


しかしなんですよ、ぼくみたいな甘っちょろい客を、アマゾンはうんと大事にしなくてはいけませんね。したがってアマゾンは、すぐさま上得意客の名簿にぼくを入れ、上の方に入れ、でもって5割引ぐらいのサービスを即刻してほしいもんだと思うのであります。その程度はやってほしいな。バチあたんないよ。


オバケのお面って・・・

なんに使うつもりだったんだろう・・・




オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

届くかもしれない午後

 
         



 届くかもしれない午後


 高速道路だけど平日なのにゆったりです。車が少ないからでしょう。だから遠くの景色も、空も、いつもより余裕で観察できます。観察なんて言うとたいそうだね、ただ、ぼくは、そうやって遠くを見ることがすきです。大空、特に青い空には、多少でも雲が必要だよね。唐突に思われるだろうけど、ぼくはそう思う。

どこまでも青く、どこまでも透き通った青いだけの空はね、きれいだけどただそれだけ、どんだけがんばっても青一色の壁面からは、何かを多少想像したとしても、けっして何かを創造するができないと思っている。気持ちのなかでね。


連休明けの外環(東京外環自動車道)を走っています。仕事です。夏と違い、秋の空は、どんどんと手の届かない彼方に沈んで、どんどん遠くへ下がっていくような気がするな。なんとも秋だねぇ。でも、なんだかね、沈んでも遠くへ下がっても、それでも高くなっていく空を見ながら、雲があることでしか感じることが出来ない、絵としての空を、じゅうぶん満足しながら見ています。


行きかう車も、そしてぼくも、なんだかぼやっとしています。みんな連休疲れかなぁ。空は、多少の雲があっても気持ちよい青がイッパイで、ときおり動画のように、みんなで腕を組み、仲良し雲達は流れて行きます。


三郷から常磐自動車道に入りました。ここもやはり空いていましたね。連休疲れなんだろうなぁ。やはり。きっと。あのさぁ、疲れることって必要だよね。生きる必然といってもいいな。でなけりゃ普段がわかりゃしない。普通がわからないよね。


埼玉の県境から千葉に入ります。流山市(千葉県)を前にした江戸川の河川敷では、いったいなんの合図なんだろう、アチコチで煙が立ち上がっています。敵襲だ。たいへんだ。のろしの合図だぁー・・・違いますよね。だいいちいまどき、のろしなんて言葉さえ、知っている人も少ない。


深く詳しく、うんとそこいらの「のろし」合図方法について学習したい人は、wikipediaでものぞいてください。とりあえず今回ぼくがみた煙は、じっさいのところは野焼きの煙なのです。原っぱのね。おかしなことだけど、ぼくはいつまでも匂いを味わっていたいと感じました。だからわざとゆっくりと走ります、高速道路なのに。懐かしくてね。





ぼくは、もの心ついたころから都会に住み、いわゆる健全な、正しい、由緒ある田舎に住んだことがありません。あのね、都会にも原っぱはイッパイありましたよ。ありましたが、そこは土管なんかが転がっている小さなもので、野焼きをするほどの広さはありません。

でも、なぜかよくわかりませんが、ぼくは野焼きの匂いに郷愁を感じるのです。まるでそれはぼくの生活環境そのもののようにね。生活のなかに野焼きは必然で、だから普段で、だから離れているとどっぷり浸かりたくなるので、だからぼくは野焼きができる広い原っぱに住んでいて・・・ちがうなぁ。


同じようなことが幾つもあります。たとえばとつぜんの冷たい雨に打たれれば、ぼくはいきなり、冬の厳しい浜辺に立ちすくみます、猟師なのです。北国のね。夏の暴力的な日差しは、意地悪く時間をかけてぼくを煮立て、でもって沸点を超えたぼくはいきなり古代ピラミッドの建設作業員となり・・・ここまでになると、やはりそれはぼく固有の問題で、きっとこころに問題があるってことになるのでしょう。


手を伸ばせは届く空は、季節を問わず、いくら精神が偏っていようとありません。わかっていても、キチンとした大人のぼくは、現実に浸かることが窮屈で、なにかを掴みたくて、遠くを見つめます。空に向かって手を伸ばします。手を伸ばせは、がんばってもうちょっと手を伸ばせば届きそうだからです。


秋、まるでもてあそばれているような午後、ぼくは運転をやめ空を見上げました。手を伸ばします。じぶんでは思い出すこともできない記憶のストックがあることはわかっているのです。だから手を伸ばします。きょうも届かない空に向かって。



オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

正しい夢

               
                   


 正しい夢



もうそれほど遠い距離ではないね。アメリカのこと。唐突だけどそう思う。なにせぼくが憧れたアメリカは、とにかく、はるかかなたって言う表現がピッタンコの国だったんでね。だからよけいなことかもしれないが、いまでも気がつくとなんとなく距離を測っている。


アメリカなんて、どうってことないよな」・・・なーんてイキがいきがっていたのが、ほんのつい最近のことのように感じます。ということは、つまり、ぼくはそんだけ歳をとっちまって、悔しいけど、時間軸が狂ってきているってことなのか・・・そんなたいそうなことではないと思うけど、でも、まぁ、しょうがないか。


でね、国連で演説をしている我が国の総理を、その光景を、にぎやかに嬉しそうに報じているメディア画面を見ながら、なんだか今回だけは、正しくキチンと夢を見ていたいと、そんなことを思っています。


ここんところ、毎年のように入れ替わった日本国の首領さまだけど、今回はどうだろうね、しばらく頑張ってキチンとお国のために、いえいえ民のためにお仕事をしてほしい。ぼくはね、ちょっと期待してますよ。理屈なんかありません。でも感じるんだね、今回は違うって。


自分で言うのもなんだけど、でもまいどのことだから気にしないで言うけど、ぼくは動物的感性にとってもすぐれてるんでね、だからうんと今回は期待します。


突然だけどみなさんは知ってますか、ぼくの青春時代まで、我が大日本帝国の帝都東京でも、まだアッチコッチで路面電車が走っていたことを。ぼくはね、シスコのそれに倣い、だいぶんと感じは違ってたけど、けっこう遠回りだったけど、とにかくよく利用しました。確か料金は区間15円だったような・・・


あのね、ぼくの心にある一本道、小さな時分から続く路面電車の一本道がね、すっとアメリカにつながっていてね、もちろんそれにはそれなりの理由があるんだけど、とにかくつながっているんだ。いまでもね。


だからぼくは、いつも、その一本道だけには、現実と夢の区切りをつけられなかった。つけられませんでしたよ。とにかく消えるのが怖かったから。


ぼくの素直な気持ちを言えば、ぼくらの憧れのアメリカは、すっと想い続けていたアメリカは、けっこうずるくてね、意地悪でね、暴力的でした。まぁでも、そこいらがわかりかけてきたのは、ずっと後のこと、そう大人になり始めたころです。


 赤い靴を履いていたかわいい少女はね、異人さんだろうが誰だろうが、とにかくお腹イッパイ飯を食べさせてもらえるなら・・・よろこんでついて行きましたよ、アメリカにね。いま思うとものすごく切ないことだな。けど現実です。


同世代のぼくは、そこいらがとてもよくわかる。ひもじいってことはね、あんがい想像することがむずかしいからね。異人さんがイッパイの街で、赤毛でソバカスだらけで無表情で悪ガキのぼくは、おなじ顔かたちの街に残りました。

不自由のない、お腹イッパイ食べられる家庭にぼくは引き取られ、日本国の国籍を持ち、ぼくは育ちました。そこで始めて知ったんだね、切なさがどんなものかを。皮肉だね。もっとも切ない思いなんてさ、普通に生活できる人々が感じることで、はなからそんな感情をもてない子どもたちがいることをわかってほしい。いまでもね。


甘く薄っぺらいキキララ的な夢から目覚めて、もうずいぶんと経つのにね、まだ底意地の悪い悪魔からの誘惑に勝てません。なもんだから映画も、テレビドラマも、結局はアメリカのドンパチもんになり、社会模様全体の選別が、アメリカなってしまうのです。ダラシナイね・・・ぼくのことですよハハハ。


だいいち距離が縮まったっていったってね、べつにぼくらの国がとくべつ大きくなったというわけではありませんよ。アタリマエカ。


ただぼくのなかで、大人になりかけのころに、見事に砕け散った夢のカケラが、その一つ一つがね、少しずつ、まるでちぎり絵のように重なり、合わさっていこうとしていることは確かなんだ。どんな絵になるんだろう。


ぼくは夢中でしたよ、アメリカにね。



オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

旋律はイ短調

                 


旋律はイ短調

叩きつける鍵盤を探しています。思いのありったけをね。何時ごろからかはわかりません。ずっと探しているのですから。


日常のなんでもない場面で、唐突に空気が割け、こころが割け、ぼくは動揺します。たとえ修復の時間に鍵盤が見つかったとしても、なにを弾くかは決まっていません。唐突過ぎるからです。


メロディを探しに外へ出ます。できるだけ人ごみは避けます。条件が適わないとしてもあきらめません。それでも修復は時間との闘いだから。過ぎるときが混むほどぼくは磨り減ります。


護国寺前を右折して、江戸川橋を過ぎ、石切橋の先で左に曲がりました。コインパーキングは祭日でガラガラ。仕事を先に延ばし少し休むことにしました。神田川の川底を見たかったのでね。40年前もいまも、そこはそれほど変わっていません。ぼくのなかではね。


工事用の赤いパイロンが2つ川底に。川面に際立つ真っ赤なカラーコーンは、いくぶん薄汚れ、汚く、だれも目を留めないことを確信し朽ちています。それでもね、薄暗い高架下の、灰色の世界だけの神田川には赤が際立ちます。風景を明るく染めてくれます。


風景から流れ出るささやきが、メロディとなり、デュエットを奏でるころ、ぼくはメモを終えます。あとは鍵盤にのせるだけ。けど、けれども、今日も旋律は雨模様。


桂銀淑の歌声がすきで、ビートルズの旋律が好きで、50年代のポップスに酔いしれるいい加減なぼくですが、フジコ・ヘミングは別格です。好きとか酔うとか感激とか、そんな言葉があてはまらないのです。


彼女の旋律が黒曜石のやじりとなり、真正面からぼくに突き刺さります。好きとか気持ちいいとか酔いしれるなどといったヤワな感想は、突き刺される衝撃の前に弾き飛ばされます。「ナメンナヨ」とばかしにね。


旋律が短調から長調に変化することを望んでいたのでしょうか。ありもしない、期待ばかりのメロディを、望んでいたのでしょうか。who 誰がいったいそんなもんを奏でるのでしょう。お笑い種です。


 それでもぼくは叩きつけます。鍵盤は白い紙、真夜中の環八、DELLのキーボード。そして目の前のあなた。


 独りよがりの演者には観客は無用でしょうね。いえ正直に言えば観客なんぞはなからいやしません。誰もよりつかないのですから。汚れた真っ赤なパイロンはぼくの分身です。


選挙報道に疲れた翌日、ぼくは長いあいだ波を、そして海を見続けていましたよ。夏の終わりの優しい朝、やはり修復が必要で、胸をいっぱいにしたくて、海のかなたに期待や希望を探した朝、ぼくはけっしてかなわないそれらを、いつもどおり、まるですぐそこにそれらが転がっているように想い続けました。


悲しいね。





オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

わかってください

               

わかってください


いつごろだったのでしょう、ぼくの好きな演歌歌手が薬物所持で捕まりました。それ以来、ぼくは彼女の歌声を地上波メディアから聴くことがありません。でね、最近の同様の騒動で大騒ぎしているメディアを、なんともうっとうしく感じながら、彼女のことを考えました。


自分の意思で生きる社会を変えたのでしょうか。それとも・・・


ぼくはね、このまま彼女が忘れ去られても、それでも、よってたかって新たなる金の生る木とばかし、群がる連中に引っ張り出され、踊らされ、あげくにまたまた虚飾の人生を人形として歩むより、ぼくは何倍もそのほうがうれしい。


雑木林の景色が薄くなり始めました。木々の葉が落ち、思い出も少しずつ切り落されていきます。ここのまま静かに残したいと、彼女の歌を思い出し、真夜中に熱いシャワーを浴びました。熱い雫に打たれながら、ぼくは歌声を閉じ込めたくて歌詞を探します。


流れ落ちる雫は歌詞とおなじでしたね、それは彼女の消えてなくなる過去に重なります。ぼくは意味もなくまた胸を熱くし、ただ不条理をのみこみます。願いは雫となり、なんだか凶暴に背中を流れ落ちました。期待はやはりむなしい努力でしたね。


休みの今日、ぼくは机の下に入り込み、デスクトップ(PC)のふたを開けました。メモリーの交換です。


実を言うと、ほんとうのところは、少しばかりパソコンの動作が重くなったので1ギガほど増設したかったのです。でもよくよく調べてみると、ぼくのこの古臭い(ちょっとオーバーかなぁ)デスクトップは、なんと全部で1ギガまでしかメモリーを増設できないとのことでした。


とにかく少しでもと、今では古臭い512Kのメモリーを2枚購入、それでもいままでがトータルで512Kでしたからね、古臭くたってとにかく倍の1ギガです。つまりギリギリまでアップしたということです。


ただねぇ、3階の、屋根裏の、小部屋の机の下は・・・想像以上ですよ。みなさんいくらこの夏が涼しいとはいえ、夏の屋根裏の小部屋の机の下での増設作業は、やはり避けたほうがいいですね。断言します。アタリマエカ・・・


いつものことですがここで話題が突然変わります。じつは秋が近づくにつれて問題が起きました。ぼくはいつも問題をたくさん抱えていますが、こんかいの問題はね、かぎりなく人間に近い感性を持つ名犬ケンタクンと、かぎりなく動物に近い感性をもつオッサンが原因です。


ぼくら二人(犬と人間です。それがなにか?)は、共通の認識として「秋はとにかく寂しいのだ」ということを共有しています。つまりただ秋だということだけでなんとも寂しいのです。なもんだからケンタクンは遠吠えをさかんに始めます。あのね、遠吠えっていうやつはね、なんというかとにかく震えます。精神の奥がね。


でもってその精神の震えってぇやつがね、ぼくは大好きでね、なもんだから一緒に吼えちまいます。遠吠えをね、とにかく精神が単純なんでね、だからやることも単純なんです。


ワオーーー ワオーーー ワオーーー ワオーーー・・・


                      



近所迷惑なんてぜんぜん考えませんでしたね。昼間だし、いい音色だし、ハモッてるし、まいにち役所のスピーカーが流す騒音お知らせよりもうるさくないし、それにたぶん、近所にはワンちゃん遠吠え好きの人がイッパイで、でもってイッパイ喜んでいるだろうし・・・とにかくそう思っていましたからね。


ところが、夏にしてはたいへん涼しく、遠吠えには最適な昼下がりの午後・・・?昼下がりって午後のことか、まぁいいや、とにかくその昼下がりの午後に、我が家の前に○○市役所環境課の車が止まりました。でもって屈強な体つきだけど精神がとんでもない方向に偏っていそうな若者と、なんだかとても腹黒そうな中年のオヤジが降りてきたのです。


役所関係の車が身近で止まったりすると、本能的に駆け出し逃げる習性を・・・とにかく今はもう持っていないので、呼吸を整え、それでもすこし身構えていると、腹黒オヤジがニヤけた顔から虫歯を除かせながら話しかけてきました。


にやけた腹黒オヤジが言うには、ケンタクンの遠吠えの美声がなんとも気に入らない野郎(男か女かわかりません)が、ナントカしてほしいと役所に連絡してきたらいいのです。でもって名乗らないのです。とにかく役所にそう言って頼んできたとのこと・・・


 じつはね、ぼくにはうんと凶暴なところがあります。自覚しています。だから抑える為にけっこうせいいっぱいの努力をしています。努力がいっぱいなだけ、どこかでしこりを落とさなければ精神が持ちません。


 しこりいっぱいの気持ちを抑える為に、何時間も夜行バスに乗ったことがありましたよ。揺られながら、眠れずに、ただ暗い街を睨みつづけました。空があかるくなり胸のしこりが解け始めたころ、ぼくはやっと気がつきました。夜行バスが過去に向かって走っていることをね。


 上手に生きることがとても苦手です。


オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com 

空はミルキーブルー

             


空はミルキーブルー


空がどんどん高くなって、どんどんどんどんミルキーブルーになって、ぼくの気持ちを秋に染め始めました。大きく深呼吸をします。どんどん涼しくなっていくのにあったかい何かを感じます。ぼくだけでしょうかね。


ことしは少しばかり秋が早すぎるな。だからね、いつもとおんなじでないことに小心者のぼくは、なんだか不安を感じるのです。でね、そこのところのちょっとの準備不足が、やはり秋を切ないものにするようです。これもきっとぼくだけでしょう。


めずらしく空に悪態をつきました。それでも、それでもミルキーブルーの空はやさしく微笑んでいます。そんなぼくのまったくもって自分勝手な悪態にもね。とにかくはじめっからぼくなんか負けです。もっとも空の大きさとぼくの悪態なんかは、比べること自体がまちがっている、あたりまえか。


突然だけど、空やお天道様がぼくらを生かしてくれていることを、みなさんは意識したことがありますか。少なくてもぼくらの祖先、いや人類の祖先はそれをキチンと理解していました。文明はいったいなにをぼくらに与えてくれたのでしょう・・・


ハハハまた悪いくせがでましたね。きっと読者のみなさまはなにを言い出すんだと目を白黒させ始めているにちがいありません。でもね、ぼくはいつでも意識します、考えています、なにせただだからね。


狩猟採集社会から、トフラーの言う第1の波を経験するあたりまではね、ぼくの考えでは文明としてはりっぱで、おおいに許される範囲だったのです。なんつったって農業の革命は自然をそれほど犠牲にしなかったからね。けど産業革命はいけませんね・・・あっ、この表現は誤解をまねくな、つまりこの「イケナイ」は自然を犠牲にし始めたということです。


だから文明を単に拒否することはまちがいです。人類は文明による恩恵を大いに受け、とにかく成長(人口が)してきたのですから。ただね、ちょっとでいいのでその内容をすこし振り返ってみようと、ちょっと反省してみようと、文明の負を、少し意識してみようと、そう感じたのです。ぼくはね。


とにかくいまだにトフラーのいうところの産業社会にどっぷり浸かっている我が国では、いやいや我が国だけではありませんね、どっぷり浸かっているほとんどの先進国では、社会の基準が「集中化」の一言で表せるのです。そして人々の思考の基準も、そこにあるといっても過言ではありません。


このコラムにおいても、ときどきぼくは「みんなもっと意識しようよ」なることを申し上げています。それは心底そう思っているからなのです。そしてもっともだいじなことはね、その考える基礎の部分です。何かを考えるときには、いわゆるぼくらが持っている常識を捨て去る努力を、そう意識して「する」必要があるのです。


常識を捨てないとね、ミルキーブルーが微笑んでいることを意識できませんよ。お天道様がぼくらを生かしてくれていることを感じることが出来ません。雑木林で威嚇する悪漢黒カラスの集団に、大声で「アーアーアー」などと言い返すことなどできやしませんから。


毎年、夏のギラギラする太陽が気になり、「きょうも暑いかなぁ」などと言って、さんざん楽しんだ夏を、ずいぶんと勝手なセリフで追いやろうとするころ、うっとうしくなり始めたころ、ぼくは海を見に行きます。そんな自分勝手な負い目がぼくに重くのしかかるころ、だから精いっぱいこころを広げたくて、大きくなりたくて、海を見に行きます。そう決めているのです。


今年は台風が少なかったせいでしようかね、ホテル前のビーチは石ころが少なく、どこまでも遠浅で吸い込まれそうでした。そのまま吸い込まれてもよかったのですがね・・・でも気を取り直し、選挙のことを意識しました。もうすぐ秋をむかえるから、季節が交代するから、だからぼくは、いつもより遠くを見つめました。


オッサンへのダイレクトなご感想は以下に
bingo009@gmail.com